物語の魅力

いや、物語に魅力があるのではなく、人生が謎に満ちているのだ。幸いと思ったことが不幸のきっかけとなり、また、失敗と思ったことが成功のとりつきとなる。それもこれも、人生そのものが、部分の意味は全体によってしか決まらず、また、全体の意味は部分によってしかわからないという、いわゆる「解釈学的循環」のさなかに巻き込まれてしまっているからだ。

物語は遊びだ。始めとともに、終わりがある。それは、ひとつの完結した人生の鏡であり、そこにおいてのみ、我々はその全体のオチを知り、翻って個々の出来事の意味を思う。そして、この物語という遊びによってこそ、我々は、自分自身の今の出来事の意味を、あれこれを推し量ってみることができる。

文学は、文芸、文彩の芸当ではない。物事のアヤの学問だ。我々自身が絡め取られている現実のプロットを、実験機器のような物語の筋において探究し分析する。それゆえ、文学は、同時に哲学となる。どこへ行くのかも知らず、ただ彷徨うのは、立ち止まって道を考えるに劣る。だから、日々の忙しさに我を失いそうなときにこそ、物語に遊ぶことが大切なのだ。