色を描く

絵画でも、音楽でも、文芸でも、教え方の整備やコンピュータの支援によって、現代の創作技術は飛躍的に向上している。が、アートとしてあまりに貧しい作品がちまたに溢れてきている。どれも、まるで100色の色鉛筆で子供の塗り絵をしているかのようだ。

世の中には6色だけで、なんでも描き出すプロがいる。それどころか、鉛筆一本で、すべての色を描き分ける人もいる。赤いものの赤さを描く、ということは、赤く塗ることではない。それは、赤いものを赤く見せただけで、赤さを描いたことではない。赤さは、赤くはないのだ。

赤の燃え立つような情熱、黄色の酸味を帯びた辛辣さ、青の深みに沈む静寂。それらは、もはや色ではない。だから、黒い鉛筆でも描き分けられる。白い大理石でも示し出せる。技術に頼り、再現がただの複製になってしまうとき、そこには本物の持っていた表現が抜け落ちてしまう。だが、本物にすらない表現としての力を作品に盛り込んでこそ、芸術ではないのか。