感性の位置づけ

美学の提唱者、バウムガルテンは、感性を、理性に似た、しかし、理性に劣るものとして位置づけている。劣る理由は、それがデカルトライプニッツ的な意味において、明晰判明ではないからだ。数学のように、万人普遍的、世界普遍的に一意的に答えが決まる理性こそ、神に近く、上位にある、と彼らは信じていた。

だが、感性の感性たるゆえんは、ヒューム的な観念連合にこそあるのではないか。たとえば、夏、という概念は、たんなる季節でなく、さまざまな人生経験や社会習慣と結びついている。音楽や絵画も同じだ。単なる音、単なる色が、重なり合い、せめぎ合い、個々の音や色とはまったく別の、豊かなイメージを引き起こす。

人間の心は、あちこちに穴があり、抜け道がある。アリストテレスは、これを、アイステリオン・コイノン(共通感覚)と言った。むしろ光学的な視覚、波動的な聴覚、合理的な発想こそ、生理的感覚器官に近く、我々は、これらの情報を豊饒なる情感として、まさに曖昧模糊とした人生と社会の全体性の中に位置づけている。この意味で、理性よりも感性こそが、人間の高次の認識判断能力と言うべきだろう。