全人教育の起源と意義

 全人教育というのは、すべての人の教育、というような意味ではない。それは「まったき人」に育てる、という教育理念であり、日本の小原國芳(1887~1977)が1921年の八大教育主張講演会で提唱し、今日、彼が創設した玉川学園だけでなく、彼と関わった成城学園和光学園はもちろん、彼の講演や著作に触れた多くの教育機関で重視されている。

 小原によれば、人間文化は、学問、道徳、芸術、宗教、身体、生活という6つの面があり、人間は、真、善、美、聖、健、富という6つの価値を満たさなければならない、とされ、したがって、教育もまた、これら6つの面の調和と価値の創造をはかってこそ、「まったき人」を育てることができる、とされる。

 教育学では、これは、ペスタロッチやシュクランガーの影響だ、などと説明され、あちこちで我田引水の好き勝手な解釈がなされ、今日に至っている。たしかに、小原や玉川学園は、なにもない山野にあって、あたらに学校を築くべく、体育や作業を多く授業に取り入れた。だが、体育や作業を授業に取り入れれば、全人教育になるのではあるまい。教育としての理念がなければ、たんなる児童学生の利用にしかならない。

 全人教育という思想を考えるに当たって、忘れてはならないのは、小原國芳がキリスト者であった、ということだ。「まったき人」という概念は、聖書に基づく。聖書を抜きに全人は語れない。というのも、「まったき人」という語は、聖書に、二度、登場し、聖書以外での以前の用例がほとんど無いからだ。というのも、「まったし」などという堅い形容詞は、日葡辞書に無いように、中世以降は使われていた様子がない。にもかかわらず、1887年の聖書の文語訳において使われたのは、この語が江戸時代末期の国学で再発見された記紀日本武尊の歌としてあったからだ。

 しかし、日本武尊の歌では、「命のまたけむ人は……」というように、「命」に限定されている。一方、聖書では、ノアとヨブを「まったき人」と呼ぶ。文語訳聖書は、日本語のローマ字表記で知られる米国長老派教会宣教師ヘボンらが1611年のジェイムズ一世王による欽定英訳聖書を底本とした。ここにおいて、「まったき人」は、「a just man and perfect」とあり、これが「義人にして其世の完全き者なりき」と訳された。

 小原國芳は、師範学校を出た後、京都大学哲学科に入り直しており、当然、古代ギリシア語ができた。卒論が「宗教による教育の救済」であったことからもわかるように、彼は、キリスト者として、セプトゥアギンタ(標準のギリシア語訳聖書)の原文を確認し、欽定英訳や文語訳聖書の誤りに気づいたことだろう。この部分は「δίκαιος τέλειος」となっている。

 1545年のルター訳も、じつはこの部分が怪しい。「ein frommer Mann und ohne Wandel」(敬虔な人で迷いがない)などと訳している。しかし、この揺らぎは、元の「ディカイオス・テレイオス」という言葉の本質に関わる。原文の構文からすれば、この二語は、二つの述語ではなく、同格ないし強意の重複で、「充全」に相当する。しかし、重要なのは、この二語のニュアンスである。前者の「ディカイオス」は、「ディケー(正義、流儀)」からの派生語、後者の「テレイオス」は、「テロス(終焉、目標)」からの派生語だ。それで、義人だの、迷いがないだの、という訳が生まれる余地がある。以上から、ノアの「まったき人」は、道義に至る人、それを外れない人、というような意味になる。

 小原國芳の場合、さらにややこしいのは、この上にむしろ牧口常三郎(1871~1944)の影響が認められることだ。柳田国男に成城砧の野良地を売ったのは小原にほかならず、1910年代にはすでに面識があり、そして、柳田の下にいたのが、日蓮に染まる前の右翼の牧口だ。彼は、東京各地の小学校校長として大いに活躍していた。

 牧口は、師範学校出ながら、哲学にも長じていた。彼の思想の独創性は、古来「真善美」と言い慣わされているところにおいて、二値的な真を外し、代えて利を入れ、価値を程度的な道程としたことにある。その背景は、日蓮ではなく、むしろ吉田松陰、さらにさかのぼれば孟子の至誠(離婁章句上)の思想がある。そして、松陰に心酔する小原は、ここに「ディカイオス・テレイオス」の概念を結びつけた。

 真か偽か、善か悪か、美か醜か、というような二値的な世界には、合否しかない。教育は、至らぬところを至らしめるところに成り立つ。この道筋として教育を考えたところに、小原の全人思想がある。しかるに、彼は、なぜ牧口の「利善美」を6つにしたのか、この問題は、長くなったので、また次回に。