トヨタ事件と科学の再現ドグマ

 神戸淡路大震災は、いろいろやってみたが、再現できなかった。だから、あれは、地元の人々の気のせいにすぎない、そんな災害はもとより無かったのだ、などと言ったら、被災者のだれもが激怒するだろう。しかし、トヨタはそれをやっている。

 ABCテレビが南イリノイ大学の再現実験のヤラセ編集をやったということで問題になっているが、再現実験が必要だ、再現できなければ、存在しなかった、という発想自体が近代科学の典型的なドグマだ。歴史性や地域性のある問題では、再現不可能な、一回限りの固有の科学事象というものがいくらでもある。

 米国の関係筋でもっとも疑わしいとされているのは、電波干渉だ。あれほど巨大で緻密な飛行機ですら、携帯電話を使っただけでも計器が狂うと大騒ぎされている。地上のチンケな自動車の部品と、米国ローカルのでたらめなハイパワーの違法電波がガチンコしたとき、なにが起こるかわからない、と考える方がむしろ科学的だ。そして、その現象は、あまりに複雑すぎて再現などできるわけがない。干渉による障害であれば、定常波ではなく、いくつもの周波数がごたまぜになって瞬間的に発生するもので、一発で反応するというより、複数のステップによるプロセスである可能性さえある。電子制御システムのコアをシールドしても、ケーブルそのものが電波的に脆弱である以上、やはりなにが起こっても不思議ではない。

 科学者であれば、わからない事象があったとき、まずそれを所与として認めることが大前提だ。理論的にそんな所与はありえない、というのなら、それは科学ではなく、科学の神学であり、そこには研究も調査もありえない。ところが、理系、とくに工学系では、それができないバカがあまりに多すぎる。そして、それも、専門的プライドのゆえに、バカであることがわからないほどのバカだ。そもそもプライドなどというものは、むしろ科学とは正反対の、傲慢なうぬぼれにすぎない。

 どんなものでも、事故の余地がないように設計するのは当然のことだ。それゆえ、事故が起こった場合、設計上の問題はない、などというのは、トートロジー(同論反復)以下の思考停止だ。安全対策というのは、再現できるかどうかではなく、あらゆる余地を完全に潰し、たとえ想定外の問題が起こったとしても、それを絶対的に最小限で停止させるまったく別の工学的メカニズムを備える、ということだ。電気系統の問題に対し、電気系統でフェールセーフを図る、などという発想の段階で、その設計哲学のレベルの低さを語るに落ちている。