ステージと陰陽和合

 ステージの魅力は、ライヴだ。で、同じヴェニューを多く回転させるために、マチネとソワレの二回公演、ということも珍しくない。しかし、昼と夜では、客の気分が違う。同じでいいのか。

 この問題は、室町時代世阿弥も論じている。彼によれば、昼は陽、夜は陰であるから、陰陽和合させるべく、昼の舞台では、まず客を静め、逆に、夜の舞台では、まず客を暖める、と言う。このために、夜の舞台では、昼の舞台で二番目に当たった演目を最初にもってくるとよい、と言う。昼のように出し惜しみしてはならない。

 この傾向は、現代にも言えるだろう。マチネの客は、ざわついている。ざわついたままプログラムに入っても、いつまでもまとまらない。だから、まず落ち着かせる。久しぶりにあった友人たちとの世間話にも飽きて、そろそろか、でも、まだ出ず、むしろ、まだか、と思った頃合いの時を得て、最初の一声で全体を締める。これで、観客を含めての心が一つになる。

 一方、ソワレの客は、昼間の疲れもあり、また、仕事などで遅れて来る客もあり、マチネとは別の意味で、湿っている。そして、湿ったまま火をつけようとしても、乾きはしない。だから、え、もう、どこだ、どこだ、というような、意外性を与えて、一気に沸かしてこそのステージだ。

 とはいえ、今日、やたら多人数が舞台づくりに関わっており、照明その他の半端なコンピュータ制御であるために、主演者であっても、プログラムの順序や段取りを入れ替えることは難しい。まるで日本の電車のように、時刻通りに演目をこなしていく。

 しかし、主演者の自由にならないなら、なんの主演か。プログラムの緩急が変えられないなら、どこがライブか。テレビの連中なら、昔から生放送では、いつも臨機応変だ。昨今の機材の性能とスタッフの能力なら、ステージでも、やる気になれば、ほんとうはなんでもできるはずだ。むしろ問題は、それだけぐいぐいと、わがままに観客やスタッフをひっぱって場を仕切るような、実力のある役者や歌手がいないことの方だ。