教養としての帝王学

 帝王学? なんだ、それ、と思う人もいるだろうが、私も何度かその家庭教師を頼まれている。友人にも、これを教えているやつがいる。OOとか、XXとか、会社の名前のまんまの名字の家では、ちゃんとやっているところではやっている。

 教養というのは知識雑学ではない。人格形成のことだ。帝王学は、古くはアレキサンダー大王が青年だったころにアリストテレスが教え、また、今上天皇の場合、小泉信三がおり、皇太子には濱尾実がいる。

 ひるがえってトヨタさんちだが、公聴会を終わって、従業員と慰労会、って、つくづくダメだなぁと思う。あそこんちは、自動車同様、教育までケチったな。

 人は、口先じゃないよ、行動だよ。今月初め、JALの会長になった稲森和夫は、まず最初に安全啓発センターを訪れている。それは、例の85年の墜落事故の遺品が保管されているところだ。この行動は、JAL再生が顧客の安全第一を原点とする、という、従業員にも、一般の利用者にも目で見えるメッセージになっている。

 で、なんで、子供社長はサンディエゴに行かないんだ? だれか、行った方がいいよ、って言ってあげる人もいないのか。小型ジェットでもチャーターすれば、米国内なんだから数時間で往復できるだろ。従業員の労をねぎらう、って、それが顧客よりも従業員優先というメッセージになっちゃってるの、わかってないのか? それは三菱自動車と同じ道だぞ。

 公聴会が簡単に済んでしまったのは、最初の質問で、完全損害賠償とリコール外の車を含む責任に関して、社長がイエス、イエスってやっちゃったからだ。それは、古いトヨタ車の下取価格の低下まで補償する、ということだ。宣誓して社長が言っちゃったんだから、これからいつまでどれだけ請求がくることやら。なんにしても、あの二つ返事を引き出した時点で、公聴会を開いた側からすれば、もう社長は用済み。どうせつぶれるなら、弁護士たちが最後の血の一滴まで搾り取ろう、ということになるだろう。

 さて、帝王学では、おもに人物評を学ぶ。今上天皇モンテーニュの『エセー』を教科書にした。一般にはよく『プルタルコス英雄列伝』や『史記列伝』などが用いられる。『自省録』や『君主論』『貞観政要』『近思録』などを用いることもある。ある意味では、通俗的だが、世評というのはもとより通俗的なものだ。それを理解せずに軽挙妄動すれば、自分はもちろん組織まで自滅してしまう。

 運命の皮肉の中で、一瞬の判断が命運を分ける。しかし、一瞬の判断にこそ、つね日頃の心がけのすべてが露呈してしまう。組織のトップに就く人物は、それ以前に、その地位の重さを自覚すべきだろう。しかるべき心の訓練も経ていないのに、トップに就くなどというのは、薄氷の湖の上を革靴で走り出すようなものだ。すべってころび、おぼれて沈むのは必定だ。

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