ふるさときゃらばんの破産

 最近、不景気な話ばっかだなぁ。倒産じゃなくて、いきなり破産かい。ほかにも、Xとか、Yとか、Zとかの移動劇団も、まさに劇的にやばい状態なんだろうな。

 この話は、はるか戦前に遡る。1938年の吉本興業による「わらわし隊」(荒鷲隊のシャレ)を先駆として、東宝、松竹、文学座前進座などが、演劇キャラバンを始め、42年には日本移動演劇連盟となり、やがて国策として全劇団に慰問巡業が強制された。

 この移動演劇運動は、もはや国策として強制されるのではなくなったにもかかわらず、戦後も続いた。1950年、眞山美保が新制作座を作り、1965年、そこから木村快の統一劇場が旗揚げする。その活動の一端が、1975年、山田洋次の映画『同胞(はらから)』で採り上げられて、さらに有名に。そして、1985年、20周年を期に空中分解して、石塚克彦らが、このふるさときゃらばんを立ち上げる。とはいえ、作風は、木村快の独特の学校演劇戯曲集風の鈍臭さを引きずっており、全国応援団なる招致ボランティアによるチケット手売りという経営手法も、統一劇場のままだ。

 これらの移動演劇運動の根底にあるのは、ベルリンのマックス・ラインハルト演劇学校講師ユリウス・バプの国民舞台運動だ。彼の本は、1935年に『演劇社会学』として翻訳出版され、それが演劇人に多大な影響を与えた。しかし、この運動は、バブのアイディアなどではない。「国民に芸術を!」をモットーに、1890年、一般国民啓蒙文化を目的として、ベルリン自由舞台が組織されている。

 そもそも、国民舞台運動と移動演劇運動は、同一ではない。それどころか、真逆だ。国民舞台運動というのは、もともと労働運動の一環として行われてきたもので、観客の方が劇団を誘致するものだ。ところが、移動演劇運動は、映画『同胞』でも見られるように、劇団の営業部員の方が田舎に行って、地元の連中に、誘致してくれ、と頼み込む。変だろ。

 この移動演劇運動は、ふるさときゃらばんだけでなく、その他の劇団でも一般的な経営手法だ。しかし、現実にはどんなことが起きるのか。劇団の営業部員は、青年団などではなく、文化人気取りの地元名士にとりつく。その個人的つながりで、その周辺の取り巻きが総動員される。はっきり言って、べつにだれも劇団を呼びたいなんて思っていない。義理でタダ働きしているだけ。それだけでももうみんな不満いっぱい。どうでもいい芝居のチケットなんか、この御時世に売れるわけないよ。国民舞台運動は、自分たちで売る代りに、チケットを安く、というのが主眼だったが、移動演劇運動の場合、地方の公民館なのに、主要都市の豪華な商業劇場と同じ値段。そんな高額チケット、だれが買うものか。

 そこへ俳優たちが乗り込んでくる。それも当日。呼ばれたから来てやったんだ、という態度。地元側は、せめて一週間前くらいに主役が来て、地元テレビの夕方番組にサービス出演して、自分たちでもチケット売り上げの努力くらいしろよ、と思うばかり。一方、俳優たちからすれば、舞台に上がってみると、結局、客席の半分も埋まっていない。なんだ、こいつら、こんな土田舎まで呼んでおいて、と思う。そのうえ、幕が下りてから、明日は隣の県での公演があるというのに、酒癖の悪い地元連中の打ち上げに深夜までつきあわされてへとへと。二度と呼ぶものか、二度と来るものか、と、たがいに憎しみあい、恨みあうだけ。

 で、声がかからない。そこで、みんな今度は文科省予算や県の文化予算に目をつけた。しかし、それも各劇団で奪い合い。ふるさときゃらばんの場合、さらに、国土交通省道路特定財源などというディープな予算まで掘り起こしている。2003年度から2007年度まで、総計95件、なんと、約5億8000万円。これが2008年に国会で問題になっちゃって、そこから今回の倒産に至る。

 いくら俳優が役者バカでも、現実を見ろよ。落ち目の二流有名人たちに媚びて賞を取ることばかり考えているアホな演出家なんかクビにして、ほんとうに地元の人が呼びたいと思うような、きれいごとでは済まない、泥臭い、地に足のついた芝居を作れよ。あちこちからいつもタダ券をもらう方だから、あんまり言いたくはないけれど、こういう半端な中堅劇団って、芝居が全体にぬるいんだよ。大衆演劇の神社の奉納芝居とかの方が、はるかに気迫がこもっている。いかにも食えそうもない、しょぼくれた役者たちが、神社の戸板で作った安っぽい舞台にあがって、ほんとうに芝居を見たいとずっと心待ちにしてきた観客たちの視線を浴びると、天から光が差し、一気に神がかってくるんだよ。

 どんな芝居でも、ほんとうは5人もいれば充分だろ。あちこちの地方都市を搾取して百人もが食いつなごうなんて思っている移動演劇劇団には、芝居の霊感を受けるための潔癖さがない。一舞台、一舞台、そこで死んでもかまわない、というくらいの捨て身にならなければ、神聖な華蓋は得られない。



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