教養部解体とその後の大学3

 ここに91年の「大綱化」が出てきた。それは、本来は大学の自主性と多様化を促すためのものであったのだろうが、まっさきに問題になったのは、以前の細目によってのみ延命してきた、内実のない教養部だ。そして、多くの大学が、この教養部を解体した。というより、細目を失って、教養部そのものが、内部から自壊した。

 もっと内実の話をしよう。親戚一同、大学関係者ばかりだから、私はこのあたりのことには少々詳しい。1970年代から80年代にかけて、教養部は、学内政治でぐちゃぐちゃになっていた。もともとさまざまな専門課程の寄り合いであったために、とくに国公立や一部の私立では、部長選や学長選では露骨な派閥争いが展開した。とくに80年代になると、どこの大学でも、60年代安保の左翼教員に全共闘から取り立てられた子分がくっつき、事務方まで巻き込んで、居酒屋や電話で、あること、ないこと言い散らし、オルグ合戦が繰り広げられた。連中は、ゼミの学生たちの面倒をみる必要もないのだから、五時以降、深夜まで、連日、こんな調子だ。

 ここにおいて、二つの方向が出てきた。一つは、教養部解体を絶対阻止しようとする教員。一方は、本来の専門学部に戻りたいと思っている教員。この結果、大学の教養部は、さまざまな末路をたどった。一部の大学では、教養部を教養学部に改組し、四年制として学際的な「専門」教育を行うようになったが、多く大学では、教養部を解体し、教員を各学部に割り振って、学部内で教養教育を行うように変えた。しかし、この後者の場合、専門学部に、まったく専門性のない語学教員や体育教員を抱え込むことになり、学部内において、少人数に孤立化させられ、差別されるようになっただけのことだった。