教養部解体とその後の大学2

 日本での「高等学校」には大きな混乱がある。いまのいわゆる高等学校は、占領軍の英語の「ハイスクール」という名称にひっぱられ、旧制中学校から発展したものだ。もっとも、戦前から、女子の旧制中学校は、「高等女学校」などというまぎらわしい名称をもちいていた。しかし、ヨーロッパで「高等学校」と言えば、大学や短大、高専以上と決まっている。

 くわえて、戦後の私立大学の爆発的な創設ラッシュが、高等学校と大学の関係をややこしくした。この結果、雑な言い方をすれば、旧制高等学校は、大学の中に吸収され、教養部になった。だから、教養部は、高等教育だが、大学の学部ではない。

 この中途半端な位置づけが教養部の空洞化をもらたした。もちろん、旧制高等学校の伝統を受け継ぐ、魅力的な大学人もいないではなかったが、教養部の語学教師や体育教師は、大学の中にあって正体不明の存在だった。だいいち、受験勉強で相当の英語力を身につけてきているのに、大学に入ってまた、高校の副読本並みの教科書で英語を勉強するなどというのは、まったくの時間の無駄だ。かといって、ドイツ語やフランス語も、1970年代にもなると、医学部や法学部でさえ専門研究能力として必要とされなくなっていた。まして、なんで大学で、どうでもいい野球やバレーボールがどうして必修なのか。

 このことは教員の間でも、大いに問題になっていた。教養部の教員は、教育者かもしれないが、大学の研究者ではない、格下の存在だ、として、露骨に差別するような気風が、学部では蔓延していた。また、教養部の教員の方も、大学のマスプロ化によって数百人もの出欠や答案を処理しなければならなくなってしまっていっているにもかかわらず、数人のゼミ生しか相手にしない学部の教員に比して、あまりに待遇が悪い、と思っていた。