物書きのための文体論6

 物書きとして必要となるのは、いまその文章をどういう公理系に基づいて書いているのか自覚する数学的な思考だ。そして、その公理系は、あくまで人為的な設定に過ぎないのであって、自覚によって容易に切り換えが出来なければならない。

 役者が役を演じるように、物書きは文を演じる。それも、会話シーンなどでは、一行ごとに役を変え、書き分ける。しかし、驚くには値しない。落語家を見てみろ。そんなことは、日常的にやっている。ボケとツッコミを一人でやって、表情から姿勢まで、数秒単位で切替えている。そして、それぞれのキャラクターにおいて人格は首尾一貫している。落語家本人は、それらのキャラクターの演出家として、表に出てくることはない。

 人間の表現能力は、それをやればできるのだ。重要なことは、その能力を自覚的に確立していくこと。そして、いくつかのまとまりのよいセットを自分の手持ちの文体キャラクターとして、いつでも使える状態にしておくこと。そして、そのためには、自分自身の感性と思考のレンジを、つねに拡大していくこと。むちゃくちゃなように思えるアイディアでも、自分のものとして使えるように、真剣に考えてみて、ポケットにしまっておくこと。

 登場人物が作者の潜在能力のレンジを越えることはできない。いくつもの登場人物へ自分の分割しても、そのいずれにも類似がでないくらい、作者自身に度量と寛容さを作り上げていかなければ、限定的な文体を書くこともできない。