アクション映画の良心2

 だから、ある意味では、もう役者としては終わっていると思われていた。ましてアクション俳優としては、62歳は論外だ。もちろん晩年のロッキーという人物像なら成り立つ。ロッキーも年をとるだろうから。しかし、まさかランボーもやるとは。

 話は、簡単だ。コンラッドの『闇の奥』を下敷きにしていることはまちがいない。終わらない、やたら長いエンドロールをのぞくと、本編は80分もない。『地獄の黙示録』よりも純粋に昇華されている。ビルマのボート屋のランボーが理想主義者たちを奥地に送り届けたが、少数民族を虐殺する猟奇的な政府軍に捕まり、その救出に行く傭兵隊を乗せてまた奥地へ、そして戦い、というだけ。

 80分の映画なら80頁の脚本が必要なはずだが、おそらく30頁もなかっただろう。なにしろ全編にほとんどセリフがないのだ。ランボーだけでなく、どこにも会話がない。しかし、これは意図的だ。最初の方でヒロインが言う。「あなたがさっき話していた人が」と。すると、ふりかえりもせずに、ランボーがつぶやく、「おれはだれとも話なんかしていない」。ヒロインは言い直す、「一方的にあなたに話しかけていた人」と。このディスコミニケイションは、船の上でも繰り返される。理想主義者たちにしても、傭兵隊にしても、それぞれがそれぞれに勝手なことを言い散らすだけで会話にならない。この映画に会話があるとしたら、暴力の応酬だけだ。

 テーマははっきりしている。戦争は終わっていない。これは『ファーストブラッド』から一貫している。ムーアのようなリベラルの民主党支持者の多いハリウッドにあって、保守カトリックのスタローンは、バリバリの共和党支持者。画面の中で対立構図にあるかのように見える理想主義者は、みずから戦地に赴くことにおいて、戦う同士であり、彼はむしろ敬意を表している。彼の標的は、アメリカの田舎で、自分の町の不平ばかり言いながら、ハンバーガーを食べまくり、温々と太っているムーアのような同性愛擁護主義者だ。

 彼が機関銃を撃ちまくっている相手は、ビルマの軍事政権ということになっている。が、どこでもよかった。それどころか、むしろ本当はアメリカ人だろう。政府軍として描かれている連中は、ショーに浮かれ騒ぎ、男色をむさぼり、麻薬におぼれ、警備を怠る。それは、まさにスタローンが見るアメリカの今の姿そのものだ。