小野晋也先生のこと

 世の中、どこでどう人がつながっているのか、不思議なものだ。小野先生とは、もう十年以上の御縁だ。とはいえ、別にたいしたやりとりをしているわけでもない。何年かに一度、先生の方から電話をかけてきてくださり、世間話をするだけ。まさに淡交。しかし、いつも、けっして忘れたことはない。

 小野先生は、松下政経塾の出身。私は、べつに塾生ではなかったが、仕事絡みで、ここの出身者の知り合いは少なくない。小野先生は、愛媛県議を経て九三年から衆議院議員。毎月、自民党本部で、早朝勉強会を開いていた。それに、私も加わっていた。その後、私は東京を離れたので、以後のことはよく知らない。

 ところが、小野先生は、2008年から、次の選挙には出ない、と言い出した。当選五回ながら、大臣の席は一度も回っては来なかった。森派に属してはいたが、どうみても自民党の主軸ではなかった。それ以前に、小野先生は、森派にも、自民党にも、日本の政治にも、深く失望しているのはよくわかった。そして、まさに混迷のまま、解散すらもなく、昨年の秋になって、事実上の任期満了で、ようやく政界を引退。

 しかし、政界を引退して、いったい何をしたいのか、正直なところ、私には、よくわからない。風評に惑わされず、天神地祇に志を立てる、ということに異論はない。人物為源も、そのとおりだと思う。が、いまの日本が、それでなんとかなるとは、とうてい思えない。

 というのも、人知れず、黙って努力している人は、いまも、この国にはあまりに多くいる。むしろその人たちによって、かろうじてこの国は支えられている。しかし、現実を見るに、あまりに報われていない。それどころか、そういう人々が使い捨てにされることによって、バブル以来の欺瞞が維持されている。いっそ、まじめな人が一人もいなくなって、なにもかもどうしようもなくなった方が、一気に壊れて、新しい国を始められるのではないか、とさえ思ってしまう。

 西郷隆盛が最期に仕掛けた西南戦争は、結局のところ、棄民にしかならなかった。惜しむべき人材を失わせることにしかならなかった。うまくいかないのは、本人の努力が足りないからだ、などと言われる社会は、どこかが大きく間違っている。一日の仕事を終えた近所の人々が、縁台に座って、政治なんて知らないね、と笑って言える桃源郷とは、この国はあまりにかけ離れていっている。