文明の衰えと学芸の勧め

 時代は変革期だ、と人は言う。しかし、それは、次がある場合だけだ。幕末などは、かなり特殊な状況で、その内部に、時代が封じきれず、たがいに殺し合うほどの若い力が溜まりに溜まっていた。だから、黒船で開国したとたん、全国でいっせいに吹き出した。

 文明論として歴史を振り返るなら、古代ギリシアでも、古代ローマでも、イタリアやスペイン、オランダ、イギリス、等々、その文明の末期には、じつは何も起こらない。そして、何も起こらない、起こせないから、それがまさに衰退なのだ。ここでは、人口の流出や減少、首都の移転が、決定打となる。それほどでもない中規模の災害や紛争が、その不帰点となる。

 ところが、この衰退期は、学芸にとっては円熟期でもある。いよいよ文明がダメだというのに、だれもが学問だの芸術だのばかり没頭するようになる。しかし、それは、それこそが人が生き延びる手段だからだ。古代ギリシア人は、学者や芸術家としてのみ、野蛮な、しかし活力に溢れたローマ人たちの社会に地歩を得る。

 学芸は、個人が我が身とともに持ち歩ける財産だ。そして、それは、新興文明人に授けても、簡単にはすり減らない。社会的な地位や資格など、社会が崩壊しようとしているときに、当てにはできない。余人に代え難い、人としての内面性のみが、かろうじてチャンスを開いてくれる。