経営学検定の献本2

 ちかごろの大学はどこも、就職を視野に入れ、カリキュラムと平行して学生になにか資格を取らせたいと考えている。うちも、そういう流れで、上の方があれやこれやを取り入れろと言うことでこうなったのだが、正直に言って、個人的には経営学検定というものには、かなり疑問がある。

 だって、そうだろう。たとえば日商簿記商業2級なら、たしかに就職で、じゃあ、経理をやってもらいましょう、ということになる。ところが、経営学検定を取ってきたからと言って、じゃあ、経営者をやってもらいましょう、などという会社は絶対にない。だいいち、教科書の中身からすれば、鼻で笑われるのがオチだ。

 そう、経営学検定に限らず、巷に溢れる経営学の大学用教科書のたぐいを見てだれもが思うのは、こういうのを書いている連中って、まともに社会に出て働いたことないんだろうな、ということだ。こんなきれいごとで動いているわけじゃないよ、と言うだろう。派閥力学だの、根回しだの、社内イジメだのについて書いてある教科書がひとつもないということ自体、大学の経営学というものが、いかに神学的な空理空論に陥っているか、を、よく表している。

 もちろん、もともと経営学ミクロ経済学から派生したものであってみれば、その合理性の理想論について語るのは悪いことではない。しかし、合理性と現実論とをごっちゃにしてしまっては身も蓋もない。世の中は理屈通りにはなっていないからこそ、そこにわざわざ調査研究する意義がある、ということを忘れてはいけない。現実の社会では、合理性ということ自体が、じつは多様なのだ。まったく異なるゲームが同じボードの上で同時に行われている。同じトランプで、一方はポーカーを、他方はブラックジャックをやっている。

 MBAバブリーとはいえ、米国のようなケーススタディ中心の方がよほどリアリティがある。日本でも、もっと現実に即した経営学の教科書が整備されていくようになれば、と思うのだが。