ドキュメンタリーの新世代2

 ああいう娯楽思考のドキュメンタリーに顔をしかめる連中がいるのも知っている。だが、従来のドキュメンタリーの方こそ、連中は仲間内で黙っているが、当時の機材の性能からすれば、ぜったいに撮りえないようなヤラセがぞろそろ出てくる。いまなら、懲戒解雇ものだ。あんなの、どこがドキュメンタリーなんだか。だいいち、話、作っちゃってるし。いっそ、まだユージン・スミスの演出写真の方が正直だと思う。

 昔の左翼って、目的さえ正しければ手段は選ばない、ってなやつらがいっぱいいた。ドキュメンタリーでもそうで、対象から距離をおくのではなく、ディレクターのイデオロギーのためのプロパガンダとして、実写を寄せ集めてしまう。だから、よけいややこしい。素材は実写なのに、編集がプロパガンダ。イデオロギーに合わない素材は捨て、合うものだけを使う。日本では、まだNYUのようなまともな映像ジャーナリズム教育が確立されていないから、いまでもテレビでこういう勘違いしたドキュメンタリーとかニュース素材とか作ってしまう連中が跡を絶たない。

 一方、日本でも、原一男みたいなのもいる。そもそも、マイケル・ムーアは、原一男の『行き行きて、神軍』(1987)を見て、『ロジャー』(1989)を撮った。とはいえ、原一男は、奥崎というプロパガンダ男を突っ放しているからおもしろいんで、ムーアは、原と奥崎とが一体になってしまっている。そして、さらにさかのぼると、原は、田原総一朗だの、大島渚だのの影響を強く受けている。しかし、『あらかじめ失われた』とか、『絞首刑』とかは、ドキュメンタリーではなく、いまでいうドキュドラマの作風だ。