オントロギーとしてのストーリー3

 原因と結果、というのは、エネルギーという物理学的な発想に基づくものであり、理由と帰結という図式とは原理的に異なっている。車に乗った、ショッピングセンターに着いた、というのは原因と結果だが、理由と帰結という意味で言えば、ショッピングセンターに行きたいから車に乗ったのであって、その逆ではない。まして、花の神だから、とか、呪われている、とかいう話は、時間的な順序関係そのものを持たない。階層性すらない。

 我々の世界は、むしろこっちじゃないのだろうか。神話的、というか、順序関係も階層関係もでたらめに、さまざまな理由と帰結が、まったく「同時」に、この世界に放り出されている。ここでは独我論どころの騒ぎではない。この理由と帰結は、その理由、その帰結で完結しているわけではないのだから、むしろ人にまで押しつけないと意味がない。それぞれがそれぞれに自分の理由だの、帰結だのを勝手に持ち込んで、たがいにごり押ししている。それが世界だ。

 この世になにかがある、ということは、こういう理由や帰結がまとわりついたサブスタンス(支持体)としてある。それは、物理的な延長である必要はない。まだ出来てもいない空港のようなものであっても、議論の対象として、それどころか命がけの闘争の対象として存在しうる。逆に、だれも理由や帰結をつけない空気のようなものは、通常の意味では存在するものとしては扱われない。空気抵抗、のように理由になるときにのみ、それは存在として扱われるようになる。