シャレイドとクリシエ2

 戦前からのハリウッドの華やかさをよく知るピーター・ストーン(親も映画人)は、まさにおしゃれな映画『シャレイド』(1963)を作った。ヘップバーンだの、ジヴァンシーだのばかりが話題になるが、この映画のほんとうの魅力は、その本にある。人気スターはもちろん、ヒッチコックだの、リゾート地だの、ミュージカルだの、当時のはやりものを、なんでも全部、ほおりこんで、スマートにまとめあげてしまった。

 しかし、下世話なごった煮ではない。そのタイトルどおり、きちんとシャレイドになっている。運命のすてきな殿方、と思ったら、じつは夫の泥棒仲間。でも、じつは軍の秘密捜査官。そして、結局は、、、、

 そう、結局はXXでしょ、と、我々はいつも結論を急ぎ過ぎる。それを言うなら、結局は、すべての人は死ぬ。そんな話で、人の一生というものがわかった気になっているやつがいたら、なんと青くさい、と思うだろう。

 部分は、全体の隠れた一面を表す。にもかかわらず、いつも全体が部分を覆い隠してしまうのだ。ところが、シャレイドでも、デテクションでも、謎解きにおいては、部分から示される。その部分にこそ、その機微がある。謎を解くこと以上に、その結論に隠されてしまう部分を知ることにこそ、謎の楽しみがある。

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