ファンタジーと地平融合1

 『果てしない物語』とは、この現実のことだ。あのアウリンのごとく、始まりは終わりであり、終わりは始まりであり、幻想は現実であり、現実は幻想である。

 それにしても、ファンタジー好きでもないファンタジー関係者には困ったものだ。剣があって、ドラゴンが出てきて、姫を救えばファンタジーだと思っていやがる。形式主義のプロップとか、ハリウッドのエグゼックとかなんて、その最たるものだ。そして、多くの物語が、ハッピーエンドなどというダークサイドに落ちて行く。

 重要なのは、ファンタジーはつねにファタジーとして語られる、ということ。当たり前のように見えるが、これはかなり特殊な事だ。たいていのウソは、真実として語られる。そうでないとウソにならないから。なんとかブラウンのように、さらに間抜けになると、これは実話だ、とか、これはまさに私が見た出来事だ、とか、わざわざ書いたりする。余計なお世話だろ。

 ところが、ファンタジーは、その冒頭から非現実として語られる。9と3/4番線だの、屋根裏の衣装タンスだの、この現実の中に非現実の扉が開く。つまり、その扉は、この現実の中にあり、その扉があることはまさに現実なのだ。

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