Google ブック・Amazonキンドルと日本の出版社のアンシャンレジーム3

 音楽配信と同様、書籍もまた国際化する。実際、ハイデルベルク図書館とか、グーテンベルク・プロジェクトとか、日常的に使っている。ネット上には、マーク・トゥエイン時代のハンニバルの町の住民便利帳なんていうのもあって、当時、町のどこに洗濯屋があったか、まで、わかる。

 もちろん紙の本の方が読みやすいのは確かだ。だからと言って、それは、既得権にあぐらをかき、その利権ゆえに新時代を邪魔する出版社を保護すべきだ、などということにはならない。

 なにより腹立たしいのは、いまだに本のサイズが世界中でバラバラなこと。書籍デザイナーだかなんだか知らないが、国内ですら各社で奇をてらって珍妙なサイズで本を出すから、始末に悪いったらありゃしない。文庫や新書ですら、10ミリ以上も異なるものがある。重ねりゃ崩れる、置いときゃ重い。本棚をゆがめるような、アホな本ばかり作りくさって、これじゃ、本としては、いくらその方が読みやすいとはいえ、買いたくなくなるのも当然だ。

 CDだって、インチ法のアメリカですら12センチに統一されている。なんで本だけぐちゃぐちゃなまんまなんだ。これだったら、しかたないが画面で見て、必要なところだけ自分で自由な形に編集してプリントアウトした方が使い勝手がいい。クリエイティブなのは文章だけなのに、それに書籍デザインを勝手に抱き合わせ販売しているから、印税率も下がる。もちろんデザインが重要だ、というのなら、それも結構だが、その本をそのデザインで買うかどうかは、出版社が決めるのではなく、読者に選ばせろ。

 CCCDのようにCDとしてしか聞けないようなものが売れないように、特定の判型、特定の字組でしか読めないような本は、読み方が多様化している現代に売れるわけがない。大活字版だの、愛蔵版だの、文庫版だの、同じ中身の本を、そのつど別の書籍として買えばいい、などという理屈は、出版社内部での会議でしか通用しない発想だ。

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