Google ブック・Amazonキンドルと日本の出版社のアンシャンレジーム2

 結局のところ、日本の著作権法の実際の運用は、中間流通業者のためのものであって、実際の作家やアーティストのためになっていなかった。それでも、その流通業者の強大な寡占的業界支配力のゆえに、他に選択肢がありえなかったから、やむなくそれに従ってきただけだ。食品では、日本でも、小売店やレストランの海外生産委託などが当たり前になってきているのだから、著作物だって、ボーダレスに直接取引になっていくのは、当然だろう。

 にもかかわらず、出版社のみならず、一部の作家が頑迷に抵抗している理由はなにか。第一には、出版流通の支配側だから。大手出版社が出版業界を支配している方が、新興出版社や新人作家を排除できるから。書店の平棚ではどんなに大手が強くても、ネット上では、大手も新興も関係ない。同じ一行、数文字のデータの差でしかない。知ってのとおり、大手の出版社では、どこもほとんど原稿持ち込みを拒絶しているが、それは結局のところ、編集者と私的に懇ろな古い作家の既得権保護でしかない。いや、質の確保ができない、とか言うかもしれないが、そんなのは読者が選択することで、出版社は、自分のところの本の心配だけしていればよろしい。

 出版社や一部の作家が電子検索を恐れるもっと本当の理由は、じつは著作権裁判だ。日本の著作物の中には、大量のパクリがある。電子検索で横断的に精査できるようになったならば、大手出版社の有名作家でさえ、洋書や弱小出版社の無名作家からのパクリがゾロゾロ出てきてしまう。そうでなくても、似ている、というだけで、裁判を起こすコピーライト・ロイヤーだの、パラノイアの自称作家だのは、いくらでもいる。また、翻訳にしても、原著作者が激怒しそうな不誠実なもの(本を軽くするために勝手に冗長難解な章や段落を切り捨てたもの)があまりに多い。そして、現在のように体力が弱った日本の大手出版社は、この種の裁判に耐えられる状況にない。

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