ポストコロニアル批評批判2

 がたがた言うけれど、じゃあ、まともにやって売れんのかよ、と聞きたくなる。いわゆるオーディナリーなバーブス(郊外住宅地に住む中産階級の人々)のどうでもいい映画をタリバンだのアルカイダだのの連中が見て喜ぶ、とサイードが本気で思えるなら、いろいろ言うのもいいが、実際は無理だろう。

 まともにふつうのドイツ人のことを話したって、フランス人の話ほどにも日本の人々には受け入れられまい。ドイツ人は笑わない、とか、ドイツ人は、しかめっ面とか、勝手に決めてかかっているから、ユルゲン・タラッハだの、ヘルゲ・シュナイダーだのみたいな人気俳優を見ても、それがドイツ人であるとは思わないだろう。だったら、商売として、連中の期待しているものを売ってしまえ、となるのは、ビジネスとして当然のことだ。

 実際、ヨーロッパでも、アメリカでも、インチキ日本人の多いこと。へんちくりんな空手だの、書道だの、わけのわからない言い回しだの、そういうエセ日本人(そう、連中はアジア系なだけで、本当は日本人ではなかったりする)がウケている。まあ、日本にいるユダヤ系アメリカ人だって、期待に応えるため、日夜、金髪にブリーチしていたりするじゃないか。みんな喰っていくためには、なんでもやるものだ。

 だから、これは、コロニアルだとか、帝国主義だとかとは関係がない。ただ、サイードを待つまでもなく、いくら喰っていくためとはいえ、せめて本物なら、いいかげん売国的なことはやめろ、と思う。マッチ棒の山を一本ずつ引き抜くように、そうやって祖国を飯の種として食いつぶしていると、いつか911のような深刻な事態を引き起こす。人為的なオストラニェーニエを「日本文学」と称して海外に宣伝している連中も、同罪だ。

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