本格ミステリの定義(決定版!)5

 いまどき、こんなルールに外れているミステリなんか、いくらでもある。それを承知で逆に我々が勝手に思い込んでいるドグマも見直す必要がある。

 たとえば、ミステリだから、殺人事件が必要だ、という「殺人ドグマ」。これは、デテクション・ルールではない。犯罪だったらなんでもかまわない。いや、さらに正確に訳せば、犯罪として提起されたもの(実際は犯罪ではなかったことが後にわかる)、であれば充分だ。これが、ヴァン・ダインの二十則(第七則)が本格的なデテクション・ルールとは関係がない決定的な要因でもある。ノックスの十戒も、殺人ドグマは、取り込んでいない。実際、彼らに先行するドイルの「赤毛連盟」は銀行強盗だし、チェスタートンの「グラス氏の失踪」は殺人事件のようでそうではない。

 もう一つは、「探偵非犯人ドグマ」。これは、ノックスの十戒(第七戒)にもヴァン・ダイン二十則(第四則)にも出てくる。しかし、デテクションの外枠構造において、作者はむしろ犯人と一体であり、「第二の探偵」である読者と対立している。この意味で、内在的な「第一の探偵」が犯人であってはならない、というルールは演繹されない。実際、味方であるはずの警察の上司が犯人の一味、などというストーリーは、フィルム・ノワールにおいて、いくらでもある。探偵自身こそ、記憶喪失で真犯人、というオチも、その手がかりが歴然としており、読者がその探偵本人より先に気づきうるものであれば、むしろミステリらしいミステリ、ということになるだろう。(たとえば『エンゼル・ハート』)

 ほかにも、チャンドラーだの、ハルだのの規則があるが、これらはみな、自分のスタイルとしての主義の問題であって、デテクションの必要条件ではない。


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