著作権・翻訳権・出版権2

 もちろん、どこぞの会社が、非独占的な翻訳権と、独占的な出版権を取得して、翻訳書を出すことは可能だ。ようするに、こっちが、翻訳は出来ても、出版はできないように追い込む、というわけ。こちらの翻訳は、正当な二次著作物ではあるが、これに依拠しなければ、別の人が翻訳をしても、こちらの著作権の侵害にはならない。だしかにそうだけど、けどねぇ、えぐいよね。

 過去に似たような話があって、Aという翻訳家が、ある出版社にある本の翻訳の原稿をもちこんだものの、この出版社は、この原稿を2ヶ月預かった後、この企画をボツにした。それでいて、この同じ出版社は、別のBという翻訳家に、同じ本の翻訳を依頼して出版した。で、ひどいんじゃないの、企画だけ取ってさぁ、と、Aが裁判を起こした。えらい年月がかかって高裁控訴まで行ったものの、結局、A氏に依拠はしているが、Bは似ていないからいい、複製ではない、ということで棄却。

 でも、ふつう、常識的に考えて、これって、この業界では道義的にすごくまずいでしょ。似てないのは、それこそ、思いっきり依拠して、たたき台にして改変したからで、最初のコピーを翻訳の下訳に使っちゃったからじゃないかなぁ、って思われても仕方ない経緯だ。実際、Aの原稿は、直訳すぎたからボツになった、っていうんだし。裁判に勝ったってたって、人としてどうかと思う。編集者に騙されて、こんなややこしい話にかかわらされたBも迷惑だっただろう。こんな強引なことを平然とやっているものだから、この大手出版社、その後、派手にひっくり返った。

 さて、話は戻って、ロバート・マッキーの『ストーリー』だが、みんな心配している。映画関係で、この本のことを知っている人は、だれでも、当然、日本にも翻訳が出てしかるべきものだ、と思っている。いや、世界19カ国で出ていて、日本にだけ翻訳が出ていないのは、日本の映画人の恥だ、とさえ言う人もいる。マッキー氏本人も、きちんとした訳で、脚本家をめざす日本の若い人たちに読んでもらえれば、と願っている。

 その一方、出版関係の人は、この本の厚さから、これが大して儲からないのを知っている。市場だって、小さい。長期的にペイすれば、なんていったって、死に金の在庫を抱える余裕など、いまどき、どこの出版社にもない。やるとしても、抄訳に切り刻んで、一発売り切りがぎりぎりの線だと思っている。しかし、若い人たちに、ということになると、10年単位で絶版にせず、提供できるのでなければ意味がない。そうなると、文庫かなにかのシリーズに潜り込ませるのも手だろうが、それ以前に、こんな風に、著作権や出版権がややこしくなってしまっているものに、あえて手を出すところはないのかもしれない。アニメのなんとかみたいに、儲かれば別だろうけれど。

 さてさて、どうなるのだろう。どこかまともなところで、この本を助けてあげてもらえないものだろうか。


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