クリスチャン・メッツとマクルーハン3

 マクルーハンは、メディアの構造こそが人間の意識構造を規定する、という。同時並行的なメディアに接するためには、人間の方が同時並行的な感性を持たなければならない。個々の対象に対し、さっき途切れたものの続きとして、同一性を補完付与してやらなければならない。

 実際、ある種の病気では、右から来て、ついたての裏に隠れ、その左から犬が出てくると、別の犬だと思う。逆に、健常者は、同じ状況において、たとえその犬が事実としては別の犬であったとしても、同じ犬だと思い込む。それも、かなり二匹の犬が似ていなかったとしてもだ。

(たとえば、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の1と2・3では、彼女役の女優が代わっている。が、そのことに気づく人は、ほとんどいないようだ。一方、『ジャングル・ジョージ』では、1と2で主役の俳優が代わってしまい、2の冒頭で、わざわざナレーションを入れて、自分たちでそのことをチャカしている。そうでもしないと、半端に気づかない人もいるからだろう。)

 メッツは、かろうじて区切れ目といえる大連辞(Grand Syntagmatique)に固執したが、実際の映画では、そんなものを飛び越えたオフスクリーンだの台詞語りだのという技法が頻繁に使われており、目に見えるものだけを記号論的に区切って見たところで、ストーリー論的にはたいした意味がない。


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