ミュージシャンズ・ミュージシャン2

 これは、ミュージシャンだけの話ではない。あの時代、とにかくやたらバブリーな連中が多かったのだ。糸井だの、ホイチョイだの、コテツだの、西川だの、中谷だの、手塚だの、高城だの、メディアプランナーだとか、空間プロデューサーだとか、わけのわからないカタカナ肩書で、企業とタイアップして、仕掛け人を気取って大金をせしめていく、いわゆる「いっちょかみ」だ。ビッグマウスなわりに、実際の業績がさっぱりわからない。村上なんかも、時代遅れの、この一種だろう。そして、これらが、先に挙げたJpopたちと、鈴木茂あたりのところで、ちょうどビックリハウス人脈としてリンクする。当時の西武の堤清二のところにぶらさがっていた連中だ。

 セゾン、ソニーサントリー。こんなのが、当時の就職の理想だった。発音の悪い疑似国際英語世代会社の典型。そのことを、その社名そのものが表してしまっている。良い会社のイメージばかりが先行し、いったい実際にナンボのものなのか、当時からして、さっぱりわからなかった。

 学問の世界もそうだった。ニューアカデミズムとか言って、ろくに話せもしない難解なフランス語を振り回し、勁草書房やNTT出版をはじめとする出版社からハッタリ本を出して、団塊世代を煙に巻き、結局のところ、現代芸術と同じ仲間内の誉め合い貶し合いだ。いずれも口は立つが、どこにも中身はないのは、見る人が見ればわかる。

 90年代半ばへ向けて、日本がバブルの頂点へ突き進んでいるときに、その薄っぺらさに気づいたミュージシャンや若手文化人は、早々にそれに背を向け、自分の居場所を探した。というより、プロ志向である以上、はなから、バブルという、その中身のないバカ騒ぎとは、体質が合わないのだ。だから、その行き先は、掛け算的な商売原理で成り立っているマス・マーケットではない。頭の中までバブルに浸食された団塊世代や、それを騙くらかしておもしろおかしく暮らすいっちょかみ世代とは、もとより話が合わない。そもそも、こっちに合わせる気がないものだから、いろいろ嫌がらせばかりされる。

 だが、気がつけば、団塊世代も、いっちょかみ世代も哀れなものだ。経済が変わり、政治が変われば、いよいよ彼らの居場所はなくなるだろう。一方、我々は、大きくはないが、自分の場を持っている。もちろん、あいつらのバブルのバカ騒ぎに奪われた、得べかりき機会というのは、取り戻せはしないが、手元にはしっかりとしたものが残っている。



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