ミュージシャンズ・ミュージシャン1

 このタイトルで、ここに来た人は、だれのことか知っているだろう。先日、あのころの歌を歌う鈴木祥子を映像で見たが、あれからの年月は、あの吐息声を失わせ、同じ歌の意味を変えてしまった。そもそもあの詩は彼女のものではない。もとはむしろ英語だった。日本語は、与えられたもの、押しつけられたものにすぎなかった。それが、いまは別の意味で自分のものになった。

 あれは1992年のひそかなヒット曲だった。といっても、関東の人しか知らないだろう。『風に折れぬ花』は、八芳園という白金台の結婚式場のタイアップCMソングだった。その前にも、三井のリハウスその他のタイアップソングがあったが、彼女は、一世代前のEPOのような、キーメロディライターではない。にもかかわらず、無理を強いた。それでも、この曲を含むベストアルバム『ハーヴェスト』は、幸せに輝いていた。前年に本人が結婚したからだ。しかし、それによって、潰された。

 団塊世代の下手くそなフォークソングの後、ユーミンやYMO、山下達郎、竹内まりあ、EPO、サザンなどの、英語のできないJpop世代が登場する。団塊世代に比べればたしかにアメリカ風なのだが、発音が致命的だ。音節リズムの跳ねが違う。なんにしても、彼らは、バブルの波に乗って、企業とタイアップし、また、レンタルレコードからカセットにダビングされて深夜のファミレスへ行く車のステレオを響かせた。

 Jpop、さもなければアイドル、という時代に、しかし、隙間があった。バブルより前、1977年の秋に18歳でデビューした原田真二は、翌年末でテレビという表舞台からは消えてしまう。わずか1年。しかし、ミュージシャンとしてのアイデンティティが、自分をアイドルとして売ることを許さなかっただけだ。やや神がかったバンド活動は、新たな支持者を獲得し、そのバンドのドラマーとして86年に鈴木祥子が参加する。ところが、88年には、その彼女が、Jpop世代にたらし込まれ、アイドルとして売り出されることになってしまった。彼らにとっては、売れるかどうか、だけが問題だった。


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