アリストテレスの幸福論1

 どこぞの新興宗教団体のおかげで、まともな倫理学研究者は、えらい迷惑している。それどころか、以前、某私立で倫理学の教科書に問題の新興宗教の教祖の本を指定しているのを見たことがある。そんなエキセントリックな教員を見抜けないとなると、その大学全体の質が疑われる。

 幸福論と言えば、まずアリストテレスだろう。彼の世界観は、手段目的論ないし原因結果論の連鎖体系であり、彼は、我々の日常の意志と行動のほとんどが手段的、すなわちそれを原因として結果するところが別に目的的になっている、と言う。そして、その目的的な意志や行動もまた、さらなる上位の目的的な意志や行動の手段的なものにすぎない。ここで、例の彼独特の論理的飛躍だ。こうして、手段的なものがあるなら、その手段的な意志や行動の究極のところに、究極の目的、目的とはなるが、もはや手段とはならない最上位の目的があるのではないか、と言い出す。そして、彼は、これを幸福と名付ける。

 翻って、彼の倫理学における意志と行動の基準は、この幸福にほんとうにつながっているかどうか、ということになる。いかに快であっても、インチキ政治だの、インチキ宗教だの、インチキ薬物だのに騙されているのは、この正しい連鎖をその先にもたないがゆえに、好ましいものではない。

 また、アリストテレスは、カントを待つまでもなく、幸福に永続性を要請する。たとえ国会議員に当選しても、数年後に落選するかもしれない、というのであれば、それは幸福ではない。だから、だれも政治家をうらやましいとは思わない。同様に、いま一時の成功や快楽は、幸福とは関係がない。それは、外的に運がよかっただけで、それ以上のことではない。実際、彼らは、遠からずそれを失う同じだけの不幸を味わうのだろうから。


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