コスモファージ5

 根本的なことを言えば、日本という国が、欧米のコスモファージで出来ている。明治維新とは、廃仏毀釈とともに日本そのまでを切り捨てて、そこにヨーロッパを接ぎ木したものであり、戦後はそれをアメリカにすげ替えた。容易にアメリカ化できたのは、それ以前に、つまり戦前から日本などというものを持っていなかったからだ。

 いや、和魂洋才があった、などと言うかもしれないが、この「魂」という言葉自体、ドイツ語のガイスト(精神)の訳語として用いられている。というのも、日本の発想では、魂は、個々の祖霊につながることはあっても、民族としての魂などというものは、江戸時代にすら存在していない。たしかに「大和魂」という言葉自体は、『源氏』や『今昔』にも出てくるが、ドライで論理的な「漢才」に対して、細やかなヒューマンスキルのことを意味しており、民族精神などというものは、考えもしなかった。だいいち、当時は、雲上人と廃物をむさぼる餓鬼とが、同じ京の中にいても、同じ人間だなどとは思いもしなかった時代のことだ。

 つまり、和魂洋才という発想は、日本人などというナショナリティの結果であり、そのナショナリティなどという発想そのものからして、日本のものではない。実際、百済人だの、唐人(中国・韓国~イラン人)だのが、そこらにごたまぜに住み着き、その一方、藩境では日常的に小競り合いを起こしているような連中が、同じ日本人だなどと思っていたわけがない。

 このように、欧米を喰ってしまった、ということは、とりもなおさず、その前から日本などというものが無かった、ということを意味している。京都や奈良に見られるとってつけたような日本趣味は、フェノロサをはじめとする外国人趣味をも日本人が吸収した、ということであって、日本趣味そのものからして日本のものではない。


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