コスモファージ4

 こうしたことは、先述のように、ある特異な、恵まれた不幸においてのみ起こる。恵まれた不幸、というのは、なんでも手に入るのだが、もっとも肝心なもの、その人であることを与えられないことだ。

 ソンタグが興味深いのは、レヴィ=ストロース構造主義者としてではなく、構造主義の哲学者と見なしている点にある。すなわち、彼は、構造主義的であることによって、ルクレティウス的な安心立命を考えた、と言う。奇妙なことだが、この方が、「無意味なものが永遠に」というニーチェの哲学に近い。それは、何も始まらず、何も終わらない、自分というものさえも、未来永劫に繰り返す波の中の一つの波頭にすぎない、という、クールな世界観だ。

 他者を貪欲に飲み込み続けて、とどまることのない進歩を渇望する飢えた空虚な自我は、壮大なゴミ屋敷と同様、その呪われた生き霊としての死とともに、おぞましいものとして解体され、なにも残さない。

 じつは、昨今、本の整理をしているのだが、古い評論家の本は、真っ先に処分箱行きだ。原典とその関連はとっておくが、ごちゃごちゃと人の本を解説をしたものなど、読み捨て以外のなにものでもない。その時代には、大きな顔をしてのし歩き、大きな声で怒鳴り散らしているが、しばらくすると、結局、何者でもなかったのが露呈する。


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