コスモファージ3

 それで、この空虚は、同性愛だか、自己愛だか、倒錯に走る。ナチス的社会体質とサルトルの親縁性は、フロムやアーレントなどを参考に、もっと哲学として問題にされてもよいはずだ。その一方、「権力意志」を唱えて、ナチスの元になったと言われるニーチェは、むしろ対極にあるのではないか。

 権力意志というのは、まさに自分が乗っ取るのであって、強烈な自我があってこそ成り立つものだ。自我というものが虚無のまま、他人のあれこれを雑多に吸収していっても、結局、ゴミ屋敷のようなものにしかならない。それぞれの道具は、その本来の所有者の下において、生活連関をなしているのであり、それをかき集めても、自分の生活連関にはならない。それは、過去の無いレプリカントが、人々の思い出の写真を盗み並べて、自分の生きた証にしようとしているようなものだ。

 興味深いのは、オタクだの、ヒッキーだのという連中、そして、学者学の学者たちが、まさにこういう性向を持っていることだ。女性の下着を盗み集めてきて、自分で着用する、というのと、アニメの物語の中の細々な登場事物を自分の部屋に飾るのと、他人の学説を寄せ集めてきて自分の本で語るのと、じつは、まったく同一種類の変質者だろう。自分の世界でないものを自分のものであるかのようにふるまう、という意味では、下着も、玩具も、学説も、なんの違いもない。


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