イン・メディアス・レス3

 本来は、A殺意を抱く、B殺す、C捕まる、という時間順序なのだが、クライマックス・インによって、B殺す、C捕まる、A殺意を抱く、という説明順序になる。

 しかし、クライマックス・インは、倒叙法と混同されてはならない。クライマックス・インは、たんなる語りの順序を入れ換えただけはない。入れ換えたことで、物語の焦点が大きく変わっているのだ。

 アプ・オーウォであれば、Aの殺意を抱くに至る過程において、読者は、犯人に共感してしまう。たとえ『明日に向かって撃て』のような、とんでもない不愉快な愉快犯であっても、だ。そして、Bの殺す、も、うまくいった、ということで、いまさら被害者に同情の念を生じない。まして、Cでは、なんとかうまく逃げおおせないものか、と、犯人の主人公とともに手に汗することになる。

 ところが、イン・メディアス・レスにすると、読者は、被害者同様に、これを理不尽な殺人だ、と思う。そして、探偵とともに、なぜ・だれが、を追う。そして、いよいよ犯人をつきとめて詰問する。その時点で、犯人はもはや無力化されており、ごちゃごちゃ殺意を抱いた理由を説明するが、そんなのいいわけにならねぇ、と決め込んでいる。しかし、なぁ、と、多少、同情して、泣かせる。そして、量刑は読者に委ねられ、考えさせ、うまく巷間の話題として広まる。

 あまりにありふれた展開だが、この形式がこれほど本流化したのか、も、よくわかる。重要なのは、話の順序を入れ換えると、読者の共感の有無が変わる、ということだ。事情を知っていて、あるアクションを受け入れるならともかく、事情もわからずに、あるアクションが押しつけられるのでは、読者は共感を拒絶する。そして、うまく拒絶するように導いていくからこそ、ミステリが成り立つ。


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