イン・メディアス・レス2

 もっとも、今日、映画では、これを、クライマックス・イン、と言う。ただし、これには2通りあって、ひとつは、疑似クライマックス。007の冒頭でよくあるパターンで、ジェームズ・ボンドがやられてしまったりするのだが、じつはそれは演習にすぎない。とはいえで、後の本当のクライマックスでも、同じ状況になり、また失敗してしまうのか、という危機感を高めるのに用いられる。

 それよりもよくあるのが、ミステリの殺人場面へのクライマックス・インだ。とにかく突拍子もない猟奇的な方法で、被害者が殺される。読者ないし観客には、なぜ殺されるのか、だれが殺したのか、まったくわからない。で、翌日、全然関係ないところで探偵だかなんだかが依頼を受け、捜査をしていくうちに、この事件に戻る。

 この後者の展開は、一見、時系列で整って見えるところがミソだ。時間順序からすれば、たしかにそうなのだが、最初のクライマックス部分が、物語のテイをなしていない。意図も動機もない。そもそも殺したのも、殺されたのも、人物として確立されていない。ただ生の事件だけが放り出されている。だから、ミステリというわけなのだが。

 ここから、ああだ、こうだ、と、物語は、フーダニット(誰がやったか)とワイダニット(なぜやったか)の二つの糸を探って展開していく。誰が、が先行しては、なぜ、が、それに従い、なぜ、が先行しては、だれ、が、それに従う。なんにしても、だれがなぜ、の両方が、最後には揃わないといけない。


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