ヨレスの単純形式2

 ヨレスのおもしろいのは、これの単純形式、すなわち、物語コードが、物象化してある、と主張しているところだ。この発想は、ヘーゲル以来のドイツ観念論を引き継いでいるからこそ出てくるものだろう。

 すなわち、聖遺物は聖伝の、遺産は家誌の受肉したものであり、同様に、謎にも「ルーネ」と呼ぶべき言葉ならぬ言葉、文字ならぬ文字があるとされる。ヨレスの謎の理論を簡単に説明すると、一般語は、その外延を意味するのに、謎は特殊語として、その内包を意味し、それがゆえに、外延である何かについて語ったりせず、むしろまさにその共同体の単純形式そのものを伝えさせしめる。

 黙示とか、公案とか、高い精神性を述べ伝えるには、それゆえ、しばしば謎が用いられる。先述のように、謎は、なにかについて語ったりしない。語ったり、考えたりする図式そのものを逆に照射する。それも、その謎が、物になっている場合、謎にすら見えないかもしれない。

 とはいえ、こういう発想は、図式そのものの現象学的な自由変項をもたらすがゆえに、思想的な劇薬でもある。それゆえ、昔から、ルーネは、むしろ一般語の別の意味をまとって、なにかについて語っているかのようなフリをしている。言ってみれば、あっ! とか言って、彼方を指さし、人々の耳目を遠くへ飛ばすのだが、じつは、その隙に、わかる人々同士は、その指先に引っ張られることなく、たがいに目配せを交わすのだ。

 つまり、ミステリのように、いかにも謎めいて語られる謎など、じつはたいした謎ではない。本当の謎は、謎であることを人々に悟られないように、むしろ、別のことを饒舌に語る。ところが、ごく一部の人だけが、その饒舌さが別のことを隠しているということに気づき、その饒舌さの裏にある沈黙の真実を読み取る。しかし、こういう仕掛けがわかる人が、多いわけがなく、多い必要もない。それどころか、多かったら、物語コードそのものが壊れてしまうので困る。

 あくまでごく一部の人々だけが、物語コードの向こうに隠された、物語コードそのものを語る琴線を見い出し、遠い時代、遙かな世界と、直接に対話をすることを許される。だれも入り口を見つけられない屋根裏に登り、その屋根を作った大工と朝まで語り明かすようなものだ。しかし、一般の人は、そういう世界はもちろん、そういう世界がありうることさえ、気づきもしない。


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