スリラーとホラーのちがい3

 一方、欧米の悪魔はどうか。『エクソシスト』『エンゼルハート』など、悪魔そのものは、正直なところ、やはり、さして恐ろしくもないし、モンスターや亡霊のように追いかけて来たりもしない。それどころか、見た目は滑稽ですらあり、むしろ物静かだ。なのに、おそろしい。というのも、自分の確信を根底から突き崩してくるから。

 ウィーン世紀末のフロイト主義者アルトゥル・シュニッツラーは、1926年に『夢小説』を書いた。これはキューブリックの『アイズ・ワイズ・シャット』(1999)の原作として有名だが、その前にも『夢小説』(1969)や『オープン・ヨア・アイズ[Abre los Ojos] 』(1997)としても映画化されている。ここには、悪魔さえも出てこない。『戦慄の絆』とか、『モーニング・アフター』もそうだ。

 イングリット・バーグマン主演の『ガス灯』(1944)は、1938年の『エンゼル・ストリート』という舞台が原作で、1940年にも映画化されている。そして、ここから、ガスライティングというホラーなトリック・プロットが生まれた。ところが、これは、ミステリの中だけでなく、現実においても、政治的工作として用いられる。どこぞの事務所が、ライバル事務所のタレントを、ぷっつん女優とか言って、あることないことを週刊誌に流し、潰すのも、このやり方だ。

 しかし、困ったことに、ある種の統合失調症(いわゆる精神分裂病)もまた、この種の陰謀妄想を抱く傾向にある。自己に焦点を結ばず、自己に及ぶ諸力の方が、見えない組織ないし特定の個人として、人格的な統一性を構築してしまう。となると、なおさら、ガスライティングなのか、ほんとうに狂っているのか、判断が付かなくなってくる。その陰謀が実在するならスリラーだが、実在しないならホラーで、ここでは、スリラーとホラーのサスペンスが成り立つ。

 それゆえ、悪魔が画面に出てくるかどうかにかかわらず、『エクソシスト』や『シャイニング』『エンゼル・ハート』『シークレット・ウィンドウ』のような悪魔的なホラーは、スリラーのフリをしている。そして、スリラーのフリをしているからこそ、それはあくまでフリにすぎず、じつはスリラーではなく、底知れぬホラーそのものなのだ。この方が、ホラーらしいホラーよりも、深い。

 この欧米型ホラーは、極洋型ホラーのように、溢れ出し、自分を埋め尽くすような不安ではない。そうではなく、まったくなにも起こっていない平穏無事な現実そのものを不安に陥れる。平穏無事、ということ、ないし、目に見える、対象のある恐怖、スリラーという方が、すべてウソなのだ。恐怖は自分自身そのものとして起こってきている。だから、見えないし、そこから逃げることもできない。これが悪魔的なホラーだ。


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