世界を救う、という妄想1

 「君は光の天使なんだ、いっしょに地球を救おう!」などと、電話がかかってきたことがある。一人ではない。あちこちから、なんどもだ。地球を救うより前に、まずおまえらがそんな邪教から救われんといかんのじゃないだろうか、と思ったが、直接に、そうも言うわけにもいかず、「ごめん、ぼくには荷が重い。応援しているから、がんばってくれ」と言って切った。が、連中は、しつこかった。彼らは、いまでも地球を救うべく、日夜なにかと戦っているらしい。

 いったい、いつから、人類を救うだの、世界を救うだの、地球を救うだの、宇宙を救うだのというわけのわからん妄想が生まれてきたのか。救う、というのは、ふつう、個人や村を病気や貧困や災害から救う、せいぜい他民族の支配や侵略から救うものだ。それに、仏教では、正法・像法・末法と言い、キリスト教でも、エスカタと言って、世界が滅びるのは、定められた予定であり、ある意味ではむしろ待望すべきことだ。それまでに個人個人を救うというのならともかく、しかるべく滅びが予定されている世界そのものを救って、滅びを先延ばししようなどというのは、罰当たりの不心得者にほかならない。

 物語の中を見ても、『北北西に進路をとれ』や007だって、まあ、東西冷戦で一触即発の核戦争から世界を救う、というようなプロットが出てくるが、それはあくまで背景であって、実際は、女を救う話にすぎない。ところが、90年代になると、やたらと世界を救う話が出てくる。そこらの小娘だの、兄ちゃんだのが、ある日とつぜん、救世主だ、とか人に言われて、その気になって、地球を救う使命を帯びてしまう。

 あなたこそ、じつは王子様、というのは、たしかに昔から安っぽいメルヘンやファンタジーでよくある定番の設定で、貴種流離譚の一種だ。で、ある日、使者が来て、祖国が存亡の危機であります、どうかご帰国を、と、言われて、死にそうな実の父である老王に代わって敵をけちらし英雄になる。

 折口信夫は、貴種流離譚を、日本人の原罪だのなんだのわけのわからんことを言っているが、しかし、この物語コードは、べつに日本だけのものではなく、モーゼから、ナポレオンまで、みんなそうだ。ようするに、平民ごときから立派な人が出るわけがない、という世襲的社会抑圧の裏返しで、立派な人になってしまった以上、もともと良家の御落胤だったにちがいない、とされて、つじつまを合わせるわけだ。(逆に、ヒットラーは、じつはユダヤ人だった、と言われたりして。それは、彼をユダヤ人だと言うことが彼を貶めることになると思っているという意味で、ヒットラーと同種の発想の差別主義者ということだろう。)

 とはいえ、いまどき、私、ほんとうは、この家の子じゃないの、なんていうのは、なかなか通用しない。そこで、『僕の地球を守って』のように、前世では、とか、月の世界では、とかいう大きな物語をでっち上げる必要が出てくる。さらに手が込んだものになると、『マトリックス』のように、この世界の方がニセモノで、ホントウは、、、とかいう、よくわからない話になる。

 しかし、この大きな物語の枠組そのものが逆に暴露してしまうのは、現実においては、王子でも王女でもない、ということだ。ホンモノの王子は、自分が乞食だったら、と想像することはあっても、王子だったら、などと想像することはないからだ。


純丘曜彰ブログ速報版はこちら:http://sumioka.justblog.jp/blog/