会議の守成と組織の保身:テレビドラマはなぜつまらないか2

 しかし、テレビドラマの凋落は、テレビマンたちの個人的な資質の問題だけではない。組織そのものの当然の帰結でもある。

 田中角栄によるテレビの新聞系列化とともに、自民党は政府の補助金で財界を抑え、その財界のCMでテレビを抑え、そのテレビの規制で新聞を抑える、というシステムができあがった。テレビがあってこそ、もっとはっきり言ってしまえば、テレビ欄があってこそ、一般大衆にまで新聞が定期購読されてきたわけで、べつにニュースで新聞が売れてきたわけではない。

 なんにしても、政治部や記者クラブを結節点とし、新聞社下りのテレビ局幹部たちが新聞社と同等の高給を取るに至って、テレビは、完全に体制側に組み込まれた。第三の権力だの、ジャーナリズムだのの標榜は、シロウトだましの茶番もいいところ。画面では中堅政治家に突っ込んでいる評論家だって、裏じゃ大御所とつーかーで、いまどき時代錯誤にも現場のスタッフたちの不満批判を大声で恫喝して沈黙させ、自分の娘や息子をテレビ局や大手広告代理店に縁故採用させ、その正体は、結局ゴロツキそのものじゃないの。でも、こういう政治ゴロって、偉い人たちと親しいから、プロデューサーもその首が切れないんだな。

 この状況で、創業のころのように、なんとか人に見てもらおう、どうしても自分で見てもらいたいものがある、などという創意や情熱などあるわけがない。なにしろ各局とも全国ネットで総計数万人の生活がかかっているのだから、現状維持が最大の経営目標になる。上位三ネットは、首位にならなくてもいいから、とりあえずテレ朝系やテレ東系に抜かれなければいい、ということになる。下位二局も、べつにムリに上位に食い込まなくても、朝日と日経のテレビ版であるかぎり、甲子園だの、株式ニュースだので安泰だった。

 プロデューサーにしたって、中間管理職にすぎず、昔のような独裁的、独善的な采配ができるわけではない。それどころか、先輩たちが大量に制作会社の重役に天下っていて、局の現職重役とタメだから、あれこれと上から目線で無茶を言ってくる。このあたり、政府の官僚制とまったく同じこと。結局、現場の予算を削って、あれやこれや実体不明なものに支出を強いられる。そのうえ、会議を開けば、現場のことなどなんにも知らない営業部や事業部、さらには経理部など、肥大した管理部門も、好き勝手に口を挟んでくる。

 かくして、尖った企画など、通るわけがない。たとえそういう企画があったとしても、凡庸な連中を納得させるために、有名なマンガを原作にして、有名脚本家に書かせ、有名タレントをほおりこむ企画書に変わり果てる。それも、数ページのペラで、設定しか書いていない。力が入っているのは、もっともらしい数字を組み合わせた、都合の良い視聴率予測。これまた、官僚の作る新規道路や新規施設の需要見通しとまったく同じ。

 こんな状況で、いったい何ができるというのか。じゃあ、会社を辞めて、かつての石原裕次郎三船敏郎今野勉のように、独立プロダクションでも作るか。しかし、すでに先行する、そういう独立プロダクションこそが、テレビ局上層とがっちり利権を分け合ってしまっている昨今、新規プロダクションが割り込む余地などないことは、だれも充分に承知している。

 だったら、とりあえず年収2000万を黙ってもらっておいて、難しい顔をして、どうでもいい企画書に熱弁をふるい、会議さえ通ったら、大きな予算は山分けにして、残りのカネとともに無理難題を現場にふかっけ、イヤなら辞めろよ、と、開き直って、テーブルに足でものっけているほうが楽、ということになる。

 問題のしくみは、もともと政治絡みでできたものであり、それは、戦争を止められなくなった軍部翼賛体制と同じことだから、本気で解決しようというなら、また政治的に強力な規制をかけて、新聞社とテレビ局、そしてその系列局の資本関係をガラポンにしてしまえばいいのだが、そうなると、報道への政治介入とか言い出すに決まっている。でも、このしくみができたのは、先述のように政治介入によってだし、鼻先に全国ネットというニンジンぶらさげられて、そのときは喜々としてしたがったくせに。


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