実現してしまった夢のあと:テレビドラマはなぜつまらないか

 リッチなので、リッチでない世界など分かりません。ハッピーなので、ハッピーでない世界など描けません。夢のような毎日なので、夢しか売るものが、、、嘘をついても、なんとかなるものです。

 年来、テレビドラマは、まったく救いがたい状況に陥っている。あれだけカネをかけて、なんであんなものができるのか、不思議だが、そのうち気がついた。連中は、夢が実現してしまったのだ。杉山登志をもじって言えば、こういうことになる。

 年収2000万近くもらっている連中に、人の人生を描くドラマで、いったいなにが期待できるのか。期待する方がまちがっている。新興住宅地の一戸建てだの、大都会の高層マンションだの、もしくは、いかにもの作りものの古家屋。結局、生活の匂いがしない。

 寺山修司だの、山田太一だののように、そこら中の路地裏をウロウロして、メシを焚く匂いを嗅ぎつけては、そこに人の生活ぶりを垣間見るような、そうした感性がテレビドラマから失われてしまった。宮崎駿は、チャップリンをまねてか、かならずメシを喰う場面を入れるが、ちかごろのドラマの登場人物は、いったい、朝、なにを喰ってきたのか、さっぱりわからん。きっと、サラリーマンでも、業界よろしく、昼まで寝ているのだろう。

 昔の子供は、棒きれ一本あれば、侍にも海賊にもなれた。釣りもできたし、穴も掘れた。洗濯ばさみは、飛行機にも、ビルにもなった。そういう夢しかなかった時代に、あの熱気に満ちた数々のドラマが創られてきた。

 あのころ、近所に、怪獣もの特撮に関わっている人がいて、よく遊びに行ったが、ごくふつうの、というより、どちらかというと貧しげな借家住まいだった。縁側で、バルサを削り、スプレーを吹いて、ミニチュアを作っていた。その一つ一つを自慢げに見せてくれた。その人は、まさに夢を創っていた。そして、夢では喰えないものだった。しかし、その人はそれを承知で、それを創らずにはいられなかった。

 ひるがって、昨今、テレビに、べつに創りたいものなどない。ただ自分が一枚かんでいることだけが重要なのだ。かといって、責任はとりたくないし、手間をかけるのも面倒。だから、有名なやつに適当にやらせて、うまくいったら、成功自慢。失敗したら、とんずら。

 アメリカでは、ジャズエイジフィッツジェラルドヘミングウェイのような作家が登場し、うかれる自分を醒めてとらえ、大ものに挑む孤高の姿が模索された。彼らは、夢が夢にすぎないことをよく知っていた。しかし、いまの日本はそうではない。現実を自分より下の連中に押しやることによって、あと十年は踊り続けられると思っている。頭の中まで夢にやられ、そのうち良き時代がまた回復すると信じている。しかし、本気で夢を見てしまっているやつには、本当の夢を描くことなどできない。


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