作家のディレンマ4

 この問題は、ゲーム機とゲームソフトの関係にも似ている。その時代の世界観、その時の文壇の世界観は、いわば人気の主流ゲーム機で、その主流ゲーム機にあうゲームソフトしか売れない。それも、その主流ゲーム機は、通信機能があるから、というより、通信機能こそが、その主流ゲーム機の正体だから、売れているゲームソフトしか売れない。一方、プロダクト・アウトの作品は、それそのものが独自規格の専用ゲーム機になっている。したがって、汎用の主流ゲーム機を前に勝ち目はない。

 しかし、汎用ゲーム機に合わせて作られたソフトは、ゲーム機がモデルチェンジしたとき、読み出すこともできなくなる。これに対し、独自規格の専用ゲーム機の方は、それ自体で、単独で遊べるので、息が長い。それどころか、そのゲーム機に合わせた亜流が大量に出てくる。(たとえば、『ガンダム』がそうだ。しかし、しょせん亜流は亜流だ。)

 だが、プロダクト・アウトの作品なんか、よほど有名な作家でなければ、なかなか出版社が出してはくれない。まして、そんなもの、くちばしの黄色い編集者が下読みする文学賞になんか通るわけがない。では、まずマーケット・インで知名度が着くまで下積みをするか。(浅田次郎が典型的だ。)それとも、とにかくマイウェイを貫くか。

 昨今の傾向からすれば、下積みはやめた方がいい。マンガやラノベなんか、マーケット・インだけやらされて、編集者に使い潰されるのがオチだ。まして、映画やドラマは、大御所が簡単に仕事を譲ったりしない。だから、自主映画でも、小劇団でも、自分の名前の自分の世界の作品を作ってきて、実績のある作家だけがメジャーに割り込むことができる。

 幸い、日本は、図書館が機能している。出版すれば、売れなくても、きちんと残る。図書館で、まだ見ぬ真の読者を待ち続けることができる。もちろん、相応に売れないと、出版社に迷惑をかけてしまうが、しかし、世の中は一発狙いの出版社ばかりではない。なんにしても、マーケット・インはやめた方がいい。

 むしろ問題なのは、プロダクト・アウトするだけの、独自の世界観、既存市場の読者や観客から憎まれるほどの独創的な世界観を持っているか、ということだ。世間を敵に回しても、市場から見放されても、どうしてもこのことだけは書いておきたいと思うだけの、内なる灯明が君の心の中にあるだろうか。