作家のディレンマ1

 ハリウッドは悲劇を嫌う。しかし、ロバート・マッキーに言わせれば、ハリウッドではなく、世界の観客がそうなのだ。それも、嫌い、なのではなく、悲劇は、彼らにとって、ホントウらしく思えない。ウソくさい、作りものっぽい、と言う。

 ようするに、世界観の問題だ。偶然性のかけらもない、理屈っぽいシリアスなストーリーは、そういう哲学を背景にしているからそうなる。逆に、かつての007のように、緊迫感を微妙にはぐらかすようなルーズで大胆な展開は、それもまた、そういう哲学なのだ。そして、観客の哲学に合わないと、観客は、納得しない、それどころか反発する。

 『巨人の星』とか、『牡丹と薔薇』とかにのめり込める人は、『ビバリーヒルズ青春白書』や『コスビー・ショー』が大好きという人とは、まったく異なる世界観の下に生きている。そもそも互いに違う哲学のストーリーなんか、見たいとも思わないものだ。それどころか、そんなのくだらない、と憎み合っている。さらには、そういうくだらないストーリーなんか、この世にあってはならない、とさえ思っている。

 通常、こういう世界観の違いは、世界そのものの住み分けによって、うまくかわされている。トラックの運転手が演歌に酔っていても、その横を走る車の中の恋人たちはJポップを聞き、そのすぐ後の車ではハードロックをズゴズゴやっている。ふつうは、これらの人生は、ほとんど交錯しない。たまに会社で、上司が孫子マニアの「健忘述錯」主義者だったりして、支離滅裂な作戦ばかり立てていたりすると、部下はえらい迷惑する。もしくは、嫁入りしたら、とんでもない姑だった、とかいうことはある。しかし、それくらいのものだろう。ふつうに野菜を売ったり、自動車を買ったりするのに、売り手と書い手のたがいの世界観など問題にならない。

 ところが、小説や映画、ドラマは、そうではない。読者や観客と世界観がずれていると、作品を買ってはくれないのだ。そのうえ、作家などという文章の世界にいる人間が、世間一般の人々と同じ世界観を共有していることの方がまれだ。しかし、この問題を解決しないと、商売にならない。さて、ここでどうしたものか、それが作家のディレンマだ。