手塚治虫と記号マンガの限界1

 マンガは記号だ、これこそ手塚のテーゼだ。だから、手塚を語って、線がどうのこうの言うのは本筋からずれている。手塚本人からすれば、ハリウッド流スターダム・システムとか言っていいかげんに使い回していたように、キャラクターなんかも、どうでもいい。それは、別人物を表示する記号にすぎない。手塚にとって問題だったのは、マンガのキャラクターという記号でどこまでストーリーが描けるか、だ。

 当時の時代背景や手塚のネームバリューもあって、彼ほど読み切りを描いたマンガ家もいないだろう。実際、連載の方がストーリーとしては楽だ。オチが思いつかなければ、逆にヤマで引っ張って次回に先送りすればいい。しかし、読み切りとなると、そうはいかない。なんとしても落とさなければならない。それも、ページ数は決まっている。すでにページまたぎルールも確立されており、小説などよりきつい。

 よく、手塚が宝塚劇団の舞台の影響を受けていた、と言われるが、宝塚出身という以上の実証性があるのか。たしかに彼は演劇にも精通していたが、舞台に通ったのではなく、戦前のサイレント映画の影響じゃないのか。戦前は、ハムレットファウストなど、舞台の名作を映画化したものが大量にあり、前にも書いたように、リボンの騎士などは、あきらかに宝塚ではなく、ニールセンの映画が元ネタだ。

 このサイレント映画の影響は、彼の記号的な作風にも強く表れている。画き割りのような背景、オーバーな表情、明確なシークェンス転換(カットバックのような複合シークェンスは下手)。そして、なにより、彼より前、彼より後のマンガに比べ、セリフが短い。(以前や以後がやたら長すぎるのだが。)

 つまり、基本的にキャラクターのオーバーな全身的ないし半身的な表情だけで話をつないでいっている。背景がちゃちだから、アクションは冴えない。というか、知ってのとおり、医者のくせにデッサンができていないから、アクションが描けない。

 にもかかわらず、このスタイルは、その後のマンガの模範となった。だから、キャラクターのセットさえ揃えれば、ろくにデッサンができなくても、だれでも延々と連載が描けるようになった。手塚も、それでいい、と言って、後進を励ました。

 しかし、すぐにわかったのは、手塚のようにはストーリーが創れない、ということだ。それで、ストーリーマンガとか言って、やたら話を引っ張ることになる。しかし、それはようするに毎度きっちりオチをつけらない、ということの裏返しでもあった。