ミステリーのトリックとシリアス極右派3

 ミステリーというものが、犯罪をマテリアルとしながら、これほど世界中にあり溢れている現実の犯罪との接点をほんのわずかしか持っていない、というより、原理的に持ち得ない、ということは、驚くべきことだ。

 それは、現実の犯罪を取り込みたくない、ということではない。むしろ時代の空気として、その作家は積極的に取り込もうとしている。ところが、原理的に取り込めないのだ。取り込んでいくと、犯人はもちろん被害者までも、その固有のエキセントリックな事情が絡んできて、その事情がないとトリックが成り立たなくなってしまう。その全部を刻銘になぞっていくと、ルポルタージュになって、トリックのミステリーどころか、全部が謎に満ちたものになってしまう。

 かくして、トリックを意外なオチにするためには、トリック以外は、どんなにエキセントリックなフリをしていても、じつはすでに読者に共有されている物語コードに則って展開していかなければならない。そして、先述のように、エキセントリックに見える物語コードも、すでに充分にジャンルとして蓄積している。

 しかし、こうなると、ミステリーは、一見、ストーリーのように見えるが、じつは数独などと同じパズルの一種であることがわかる。松本清張から高村薫まで社会派と呼ばれることもあるが、落としどころ、泣かせどころまで、じつにわかりやすく物語コードに則っている。だから、シリアスなのだ。

 つづく。