シリアス/ルーズ2

 この違いは、どこからくるのだろうか。じつのところ、ルーズなストーリーが創れる作家は、その気になれば、シリアスなものだって創れる。が、とにかくそういうのは創りたくない。一方、シリアスなストーリーを創る作家は、ルーズなストーリーは許せないだけでなく、そもそもルーズなストーリーを収拾できない。

 ルーズなストーリーが難しいのは、シリアスなプロットにうまくマージン(余裕)をつけて、そこから意外なプロットを展開させるところにある。言ってみれば、シリアスなストーリーは、眉間にシワを寄せているくせに、じつは規制品を組み合わせて作った線路の上だけを走っているのにすぎない。ライヴァルは絶対的にライヴァルであり、最後に握手すれば絶対的な友情になる。ところが、ルーズなストーリーでは、ライヴァルでありながら友情があり、味方でありながら敵愾心がある。この揺らぎは、言ってみれば、うねった坂道を、慣性の法則に従って転がっていく金属玉のようなものだ。この金属玉が崖から落ちないように、うまくうねった坂道を設計するのは、並大抵のことではない。

 この既製品線路とは、物語コードのことにほかならない。そのジャンルとしてすでによくあるプロットのパターンだ。これを製図定規のようになぞって、継ぎ合わせると、それなりのストーリーができる。

 もちろんそのストーリー自体が新たなパターンを起こすこともある。が、それがパターンであるのは、同じ作品の中に反復的になんども使われるからだ。ちゃぶ台をひっくり返し、横ビンタをくらわす、なんていうのは、巨人の星で創られたパターンで、自虐の詩その他でも利用されている。(パロディではないストレートな利用。)サザエさんや大原笑介等にしたって、四コマ目のギャフンだのズッだの言うのは、じつは一種の説明的な引き延ばしにすぎない。

 こういう物語コード化したプロットパターンを、専門的には「クリシエ」と言う。日本語で言えば、「お約束」というやつだ。時限爆弾には赤と青の二本のコードがついていて、主人公がどちらかを切らなければならない、とか、化け物が追いかけてくるのに、車のエンジンがかからない、とか。

つづく。