シリアス/ルーズ1

 ストーリーの二極的分類方法はさまざまにある。悲劇的/喜劇的というのは、もっとも古典的な分類方法だろう。アート(文芸的)/エンターテイメント(商業的)なんていう分け方もある。しかし、私が提案したいのは、シリアス/ルーズという極性だ。

 ただし、この極性は、他の極性より高次のものだ。というのも、シリアスというのは、特定の極性のみを含むもの、ルーズというのは、他の極性をもスパイス的に含むもの、のことであり、純度の高い悲劇も、純度の高い喜劇も、シリアス、ということになる。一方、悲劇なのに笑える要素が入っているもの、もしくは、喜劇なのに泣ける要素が入っているものは、ルーズ、ということになる。もっとガサツに、右派、左派、と言ってしまってもいい。

 なぜこれが問題かというと、近年、ハリウッドが極端に右傾化してきたからだ。ハリウッドのエンターテイメント映画と言えば、かつての007のように、まじめにやっていながら、ばかばかしさも、適度に加味されていた。ところが、最近は、まさにその007に象徴されるように、めっちゃくちゃシリアスで、ばかばかしさのかけらも挟ませない。

 ヨーロッパ映画というと文芸モノばかりのように思われがちだが、かつてフランス映画では、アラン・ドロンとジャンポール・ベルモンドが人気を二分していた。というより、日本と違って、後者の方がずっと人気があった。この二人の演技が好対照で、ドロンはシリアス、ベルモンドはルーズだった。

 日本では、ベルモンドをモデルにしたアニメ版ルパン三世のようなものはかなり特殊で、巨人の星からエヴァンゲリオンまで、やたらシリアスなものばかり。ベルモンドよりドロンの方が当たるはずだ。よく知られているように、これは、かのばつばつ氏の、強烈な新劇主義の演出によるもので、以来、アニメは、そういうもの、ということになってしまった。しかし、アニメ版のバカボンからクレヨンしんちゃんまで、ルーズな脚本を書ける人だっていないではない。が、極端に少ない。

 この傾向は、すでにマンガから根強い。デューク東郷なんか、にやっ、とも笑わない。ニヒルなのではなく、原作者たちに、ルーズな展開を許さないきまじめさがある、もしくは、ルーズな展開を収拾できる才能がない、からだ。三国志も、あんなに長いのに、ずっとくそまじめ。手塚治虫は、ムリしてギャグを挟みたがったが、いつもすべってばかりいた。マンガ版のルパンやマンガ版のバカボンは、いたってシリアスに笑いをとろうとするのだが、アニメ版の脚本家たちにはまったく及ばない。

 つづく。