ロードムービーとファンタジー2

 ロードムービーは、町から町へと渡り歩く。このそれぞれの途中滞在場所を「留(スタティオン)」と言う。これは、イエス処刑の道程にちなむ。また、町と町の間に「道行き」と呼ばれるシーンがはさまることもある。これは、欧米では、「キッチンレンジ(へっつい、かまど)」と言う。ウェブスターにも出ていないし、語源もよくわからないが、昔から演劇関係ではそう言う。(たとえば、『レ・ミゼラブル』の地下道シーンのようなもの。舞台では、ステージではなく、往々にエプロンや花道で演じられる。)

 そして、基本的には、主人公たちだけが、町から町へと移動する。したがって、そこでは、出会いと別れが繰り返されることになる。例外は敵役で、これは別の本拠地を持ち、それぞれの町に派遣される。もしくは、町から町へと、主人公たちにつきまとう。敵役が主人公の影であるから、つきまとうのは当然だ。いずれにしても、物語は、それぞれの留において箱型に区切られ、それらのばらばらの閉じた箱を主人公たちだけが糸となってつないでいる。

 『レインマン』だと、主人公たちの成長のアークがあるが、あれはむしろ特殊なロードムービーで、一般的なロードムービーでは、主人公たちは、さまざまな経験を重ねていきながらも、なにも学ばないし、なにも変わらない。各留でのアークはあるが、そのアークは、次の留には持ち越されない。もちろん伏線なんか、ひっぱりようがない。とくにテレビシリーズでは、別の班が別の脚本作家の台本に基づいて撮っていっており、出来が間に合わなければ順序を変えて放送してもかまわない、というようなルーズな作り方をしており、主人公たち以外に全体をつなぐ脈絡がないのも当然だ。

 個々の留におけるドラマも、深い伏線を持ちようがないために、きわめて象徴的、ないし、ステレオタイプ的になる。老人は、長い人生の悲しみをたたえているか、人生を達観してしまっているか、でしかない。大人は保守的で、若者は血気ばしり、子供は素直で元気だ。それゆえ、ここでは、生も死も記号的な操作でしかない。