エリオットからヒッチコックへ1

 TSエリオットも、さぞ迷惑していたことだろう。ニュークリティシズムの連中から、その先達扱いされてしまった。たしかに彼は、連中と同じ南部出身だ。しかし、彼は、南部といっても、内陸最大の中継都市、ミズーリ州セントルイスの出であり、彼の父親はレンガ会社の社長、母親は社会事業家で、詩も書くような才があった。つまり、同じ南部でも、ノースカロライナ州と同様、テネシー州の連中とは気風が違う。だいいち、エリオットは、ニュークリティシズムの土壌となった南部バプテスト主義(聖書のみ!)を嫌い、英国に移り住んで、英国教会に入ってしまう。

 とはいえ、英国ケンブリッジ大学で哲学をやろうとしていたが、そこの秘書に蠱惑され、結婚。そのうえ、早々に師のラッセルに、その新妻を寝取られてしまった。英国貴族のバーバリアン・モラリティに、アメリカの中西部出のウブな金持ボンボンが、とうていかなうわけがない。結局、学位も取れずじまいで中退。これが、第一次世界大戦のころの話。

 結局、悪名高きロイズ銀行に勤め、以後、この職を続けながら、詩人として、評論家として、そして出版社の編集長として、わけのわからないものを書き散らし、大いに活躍する。変なニュークリティシズムの連中に慕われて、ノーベル賞ももらったし、十三もの名誉博士号ももらった。めでたしめでたし。

 とはいえ、どういうわけか、日本では、TSエリオットと言っても、ミュージカル『キャッツ』の原作者、くらいでしか知られていない。あれだって、原作の『ポッサムおじさん』(1939)となると、かなり難解だ。サン・テグジュペリの『星の王子さま』(1943)と並んで、その童話化された比喩は奥が深い。

 彼にまともな理論があったかどうか知らない。が、彼の書き散らしの根底には、きちんとした哲学的基礎教養があった。そこがニュークリティシズムとは決定的に違う。たとえば、それは、彼が問題にした「オブジェクティヴ・コレラティヴ(客観的相関物)」という術語に明確に現れている。それは、カントの「ディング・アン・ジッヒ(物自体)」をラッセル流の実証論理学において言い換えたもの。言語上のマッピングに対して、そのマッピングの元となるべき客体のことで、言わばディスクリプションの逆関数フレーゲ・ラッセル風に言えば「外延(エクステンション)」ないし「意義(ベドイトウング)」、イェルムスレウ・バルト風に言えば、デノテーションの対象(シニフィエ)のことだ。

 あ、いかん。長くなってきたから、また明日にしよう。