ニュークリティシズムというルサンチマン

 構造主義的な作者殺しが行き着く果てが、アメリカ南部のニュークリティシズムだ。1920年代、そこはもはやフロンティアではなく、見捨てられた僻地となりはてていた。半端な人種差別解放政策の結果、ホワイトプアが吹きだまり、そのうえ、北部から世界恐慌がのしかかってくる。

 こんなところに、文化もなにもあったものではない。だから、ウィリアム・ブライアンのような、典型的な民主党の永遠の大統領候補、つまり、候補にはなるが大統領にはなれない善良な理想主義者、言い換えれば救いがたい妄想主義者が出てくる。

 とにかく町が孤立していていて、情報がないのだ。世界観が頭の中だけで出来ている。世界はおろか、北部でさえ、見たこともない。いまのイスラム原理主義と同じような世界観。酒は飲むな売るな、進化論を教えるな、と、うるさい。もちろん、ヨーロッパでの戦争に関わるなどというのも、論外。共産主義も大嫌いで、州知事までもが裏では第二KKKの幹部を兼ね、あいかわらず黒人やユダヤ人の首を木につるしていた。つまり、ホワイトプアを扇動する彼らこそ、じつはドイツのナチス国粋主義の先駆者たちだ。

 こんなところで、彼らが目の敵にしたのは、北部のインテリではない。そんなのに知り合いなどいない。とにかく目障りだったのは、、南北戦争で南軍についたばっかりにひどい目にあって、以後、北部べったりになった、南部の中のノースカロライナのやつら、ようするに、彼らから言わせれば、南部の裏切り者。こういう連中にもっとも敵対的だったのが、南部でも、さらに奥地、中西部テネシー州あたり。

 そういう連中が、第二KKKとともにぶちあげたのが、ニュークリティシズム(新批評)。いわば、アメリカン・ナチズムの文化理論。最初は、新聞のお高くとまった衒学的批評に対する批判だったのだが、政治のポピュラリズムとともに、戦後に至るまで、アメリカの文化全体を席巻してしまった。

 きれいごとで言えば、かれらの主張は、構造主義からの借り物だ。作品に、作者も歴史も関係ない。作品そのもののみで考察すべきだ、と言う。まあ、たいていの文化作品は、当時はまだ、ヨーロッパ人によるものだったし、その歴史的背景も知りようがないのだから、そんなものはいらないのだ、と言ってしまうのでもなければ、彼らの文化人としての立場が成り立たなかったのだろう。そのうえ、戦後に爆発的に増えた大学生たちにしても、地方出身で、作者や歴史についての文化的背景に対する基礎教養を持っていなかった。連中に教えるのに、大量の参考文献を読んでくるように指示するよりは、教科書だけは忘れないでね、と言う方が楽だったのだろう。そもそも、水ぶくれしたそういう大学の教員自体が、そんな教養など、もとより持ち合わせていなかったのだ。

 もっとも、ほかにすることがないから、彼らはテキストは丁寧に読んだ。構造主義的な文法解析ではなく、フロイト的な修辞法分析を好んだ。とはいえ、その分析の結果、あぶり出されてくるのは、まさにフロイト的に、彼らの深層にあるコンプレックスの方であり、産業社会への憎悪と農業共同体への郷愁が、彼らの価値基準となった。また、内容的にも、彼らには叙事的デノテイションは理解しがたく、それゆえ、メロドラマ的な抒情性がよろしい、とされた。

 さいわい、このアメリカン・ナチズムは、あまりに内向的だったので、ドイツ・ナチズムのように、世界に冠たるドイツ帝国、というようなバカなことは言い出さなかった。しかし、戦後になると、その感化は、都市中産階級の妄想的地方回帰、都会を捨てて田舎に帰ろう、という、ピッピー文化やファミリー・アドヴェンチャーへ展開していく。いや、これも、やはり十分にバカなことだ。

 こういうアメリカの後退的「先進文化」の影響を戦後にどっぷり受けたのが、フランスや日本。アメリカの南部と同様、地方都市出身者(地方農村出身者ではない)が、妄想的な農業回帰を言い出す。学問でも、順を踏んで学説史を学ばぶことをせず、概説的な教科書だけで済ます。テキストのみ、と言って、やたら原文を水ぶくれさせたものを、論文だとか研究書だとか言って出す。そして、ここで、イコノロジーだとか、ボードリヤール的な産業社会批判とかを織り交ぜると、とってもキュートになる。

 しかし、ようするに、基礎教養がないだけじゃん。そのくせ、作者を差し置いて、自己顕示欲が強い。こんなの、本家アメリカでさえ、とっくにすたれているのに、まだ日本の大学の中には、あちこちに巣くっている。その時代に教育を受けてしまった連中は、いまさら基礎からやり直すわけにもいかないからねぇ。