解説の専横と異議

 学問とは、言葉で説明することである、などというドグマは、いつできたのだろうか。本来、思考は、行動や言葉になる以前の模索であり、不動沈黙の作業だったはずだ。

 古代ギリシアの昔から、学者と称する連中がろくに働きもせず能書きをたれる習慣ができたのは確かだ。しかし、中世では、修道院を中心に、むしろ働くことが祈りであり、思考だったはずだ。ルネッサンスにおいてさえも、ダヴィンチやミケランジェッロ、シェイクスピアセルバンテスのような製作知こそが重視され、近世でもヴィヴァルディやバッハ、レンブラントやデュラー、ボッシュなど、製作知に溢れていた。

 これらの製作知は、その芸術を求める人々の研鑽によってのみ理解されるものであり、先達から学び盗むものだった。それは、口先の言葉で知っても、自分の身につかなければまったく使いこなせないような、高度な知だ。

 ところが、二十世紀の大衆文化の到来とともに、芸術は通俗化する。パノフスキーは、錬金術的なアレゴリー(象喩)に長けていたデュラーの作品の研究から、画期的な、手法を制度化した。それは、絵の個々の部分に関するイコノグラフィー(図示学)と、それらの構成に関するイコノロジー(図象学)の二つの操作によって、関数的に、機械的に、絵を言葉に変換するものだ。

 これは、フロイトなどと同様の、マッピング(投影)型の解釈だ。そして、フロイトなどより、図式が整備されているために、この方法を使えば、だれにでも同じ言葉の解説を作ることができる。そして、この再現性において、パノフスキーのイコノロジーは科学的なものとして その後の芸術学に圧倒的な力を得る。

 イコノロジーの手法は、本来は、音楽でも、文学でも、さらにはボードリヤールのように消費文化でも、なんでも扱えるのだが、結局のところ、ほとんどが手法論に終始して、大胆なイデオロギー(新しい物語)は、マクルーハンくらいしか作ることができなかった。しかし、彼らは、絵画、映画、マンガなどについては、まるで死肉に群がるハエのように取り付いて、それを食い散らかした。絵を言葉に置換することにおいて、その作者と同等の、いや、解説として全体の中に位置づけることにおいて、「作者より作者を理解する」というシュアイアーマッハーのテーゼを都合良く利用し、それより優位であることを主張する。文学をさらに言葉で置き換えても、作者より優位を僭称するのは、やはり気恥ずかしいが、口下手な絵描きなら、大衆の面前でも言い負かせるとでも思ったのだろう。

 そもそもパノフスキーは正しく錬金術を理解していたのだろうか。錬金術において、個々の図象は多義的なのではない。それは、イコノグラフィーの次元において、すでにまともに個々の図象すら定義できない、というだけのことだ。図象そのものは、多義的なのではなく、意義以前の存在であり、それゆえにこそ、錬金術師自身がそれに直接に取り組むことが求められる。つまり、作者によってのみ、それに意味が与えられるのであり、口先で作者の地位を乗っ取っても、解説者には絶対的にその本来の意味を再現できない。

 それゆえ、このような主流派に対し、マイケル・ポラニーやジョルジ・ルカーチ、ベラ・バラージュらのハンガリーの哲人たち、そして、マッピング理論をもっとも極め、その限界を知ってしまったウィットゲンシュタインらは、絶対的に言葉に置換することのできない暗黙知、製作知、実践知を論じた。

 ソンタグに至っては、もっと痛烈だ。彼女は、解釈などというのは、ようするに、天才に対する俗物どもの嫉妬だ、と切り捨てる。芸術の家畜化。質の悪いファックス機のコピーのようなもの。しかし、複製のくせに、本物より大衆受けするがゆえに、本物より偉そうにしている。しかし、それが偽物にすぎないことは、なによりその偽物がよく知るところであり、だからこそ、なんとか作者を殺そうとする。

 この解説者の心理は、フロイトだの、社会大衆論の文脈で読むと興味深い。みずからの自由から逃走し、権威否定的な権威主義的人格となる。つまり、王殺しの小王たち、というわけだ。日本でも、大学は、輸入学問であることを背景に、自分で本物を殺しておきながら、その継承を僭称する、そんな小王でいっぱいだ。