クレショフ効果の謎

 映画学をやっていて、クレショフの名を知らない者はいないだろう。ところが、このことほど、映画学がいまだに学の水準に達していないことを示しているものもない。

 どんな学問でも、ウィキペディアでもあるまいに、抜き書きからの孫引きを元にあれこれ言う、などというのは論外だ。翻訳ではなく原文に、ときにはさらに手稿そのものに当たって、どういう文脈か、直接に書かれたのか、それとも、校正によって出来たのか、を確認し、その文意を確かめる。テキスト・クリティーク(文典批判)と呼ばれる、学者の基本中の基本の作業だ。

 作者は関係ない、文章は文章自体が語る、などというのは、手抜きのいいわけにはならない。文章自体が語るには、その文章が語ってきた歴史が地層のように折り重なっており、それを丁寧に引きはがしていく作業が必要になる。そして、その根底にあるのが、作者の手稿であり、この意味で、そこへ向けて掘り進めていくのが筋というものだ。

 さて、クレショフ効果というものが、よく知られている。無機的なカットでも、他のカットとモンタージュとして組み合わせることによって、それが感情表現に変わる、という話。この話自体は、どこにでも書いてあるから、ほかのところで学べ。

 問題は、これを語る学者たちだ。ひとことで言えば、学者としての基本であるテキスト・クリティークがなっていない。これがそれだ、と言って、本や講義で語っているくせに、じつはそれを見たことがない。いや、見た、と言っても、それはたいていいいかげんな再現フィルムだろう。

 そもそもクレショフが、1920年前後に、どんな実験をしたのか。じつは、これ自体がはっきりしないのだ。一方が、モジューヒンのアップであることは間違いない。ところが、それと組み合わされた絵の話が違う。実験に立ち会ったプドウキンによれば、それは、スープ、長イスの上の死んだ女、熊のおもちゃと遊ぶ少女、の3つとされる。ところが、ジャン・ミトリは、スープ、地面の上の死んだ男、長イスの上の半裸の女、の3つだった、と言い張る。

 これは、どういうことだろうか。2つの異なる実験があったのか。それとも、どちらかが伝聞でおかしいのか。おかしいとすれば、実験に立ち会ったプドウキンの方が、後から調べたミトリより信憑性があるということになる。ところが、それとされて流布している映像資料だと、スープ、死体、半裸の女、で、死体が男か女か、長イスの上か、地面の上か判然としない。半裸の女にしても、やはり長イスかどうか、よくわからない。

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 そもそも、この資料の出所はどこなのだろう。これらの資料と一緒になっている人物は、ほんとうにモジューヒンなのか。あのくりくりっとした目が印象的なモジューヒンとは別人のような印象を受ける。これ自体が、クレショフとは関係のない再現ではないのか。

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 しかし、もっと別の話もある。1921年3月にモスクワ地方政治教育委員会からフィルムをもらうまで、クレショフ映画実験工房は、なんと、なんのフィルムも持っていなかった、というのだ。当時、セルロイドのフィルムは、撮影済みの切りくずでさえ、とんでもなく高価な再生素材であり、革命の混乱期に、簡単に手には入らなかった。このため、クレショフは、「映画なしの映画」で、映画を研究していた。要するに、スチール写真の紙芝居だ。

 つまり、クレショフ効果の実験フィルムなど、もともと存在していないのだ。あれは、動画ではなく、スチール写真の紙芝居で、観客に示されたものだ。したがって、もともと編集もなにもなく、ただ見せる写真パネルの順序を変えただけ。だから、クレショフが、それを見せる相手によって、いくつもの違う写真を使った、ということは、大いにありうる。

 しかし、それが、あの巷に流布している資料なのか。これに関して、たぶん私が世界で最初に気づいたことがある。じつは、これらの写真は、もともとズルなのだ。モジューヒンだかだれだかわからんが、男の絵の位置が写真としておかしい。顔が左にズレすぎている。プロであれば、ふつうは、絵画でも、映画でも、写真でも、こんな構図は使わない。で、謎が解けた。ほれ、見てみ。

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 スープでも、女でも、紙芝居式にチャカチャカやると、口が重なる仕掛けになっている。これって、モンタージュではなく、映画の初歩の残像効果の実験じゃないか。それゆえ、これを、モンタージュと区別して、「クレショフ残像効果」と名付け直そう。こういう技法は、今でも、「アクションつなぎ」としてよく使われている。もっとも、これは、一瞬の動画のつなぎよりも、静止画の反復の方が効果的だ。

 いずれにせよ、このことは、しかし、この資料が、本のために横並びで作られた資料ではなく、まさに紙芝居式の実験として実際に用いられたことを示している痕跡であると言えるだろう。この意味で、これらの三枚組は、クレショフが使った本物の中の1つである可能性が高い。