初期ルカーチの小説論3

 世界の(主人公にとっての)偶然性と主人公の(世界にとっての)問題性こそ、ロマンにおける現実であり、ロマンは、外的には伝記という形式を採る。しかし、この現実は、主人公の理想とは異なるものであり、したがって、この現実は、つねに理想との差違ないし理想の欠如として表現される。

 この伝記は、内的には、自己認識という形式を採る。すなわち、主人公は、この理想なき現実において自分を異質で無意味と思い込まされている。ところが、この道程は、最終的には、主人公を無意味して排除しようとする世界の総体性と、そのすべてに欠落している主人公の理想像を均衡させしめることによって、主人公は優越的に自分の意味を世界に打ち立てることに成功する。このため、ロマンでは、発端と結末が存在と当為とにずれている。

 このため、ロマンは読者に憂鬱な反省を強いる。理想の欠落した世界の全体性を反省することによってのみ、そこに主人公の本当の姿が立ち現れるからである。それは、追放された無力の神、すなわち、デーモンであり、裸にされ、試練を受けることによって、神だったという、自らの真の素性を知ることになる。

 一方、世界の人々、そして、読者からすれば、昨今、こうるさい神が遠ざかっているのをいいことに、ただ生きているということを享受していたところ、妙なデーモンが乱入してきたことで、確信していた世界を瓦解させられてしまう。そこでは、超越性(世界の万物の共通規定)が、世界に内在化し出現している。この意味で、ロマンは、イロニーである。